2019年9月11日
ゲスト:いちごアセットマネジメント株式会社 副社長/パートナー 吉田憲一郎氏
我が国のコーポレートガバナンスは着実に進んでいると言われていますが、実質の部分はこれからとも言われています。
第20回は、日本のトップアナリストとして伊藤レポートにも参画している、いちごアセットマネジメントの吉田憲一郎副社長に、日本の株主構造の問題点と、資本市場を活用した企業価値の向上について語っていただきました。
2013年の日本再興戦略に盛り込まれた基本方針に沿う形で、わが国のコーポレートガバナンス改革は着実に進んできました。複数の独立社外取締役の導入は当然になり、任意を含めた指名・報酬委員会を設置する企業は東証1部では過半数を超えました。
しかし、その目的であった企業価値の向上が5年を経てどれくらい進捗したかといえば、まだ道半ばの感は否めません。過去5年間のTOPIXの上昇率は18.3%と、S&P500の上昇率46.1%を下回りました。東証1部企業のPBR(株価純資産倍率)は半数が解散価値の1倍を割れています。
日本のガバナンス改革に期待した外国人投資家は2012年末から日本株を20兆円以上買い越しましたが、2018年半ばから売り越し基調に転じました。上場株式の2019年3月末の外国人株主比率は29.1%と前年から1.2ポイント低下し、2013年3月末以来の低い水準に低下しています。東証1部企業のROEが2017年度の9.0%から2018年度は8.3%に低下したことも背景としてあるでしょう。
日本特有のコーポレートガバナンスの問題として、「利害関係者株主」の存在があげられます。利害関係者株主とは、純投資によるリターンを目的とした一般株主ではなく、支配権を持つ「親会社」、買収防衛や株主総会での賛成獲得を目的とした、いわゆる「安定株主」を指しています。
東証1部全体に占める利害関係者株主の株式保有比率は3分の1程度ですが、議決権行使率などを考慮すると、株主総会では50%近くを占めているとみられます。こうした日本特有の利害関係者株主の存在は、少数株主の権利と利益を毀損するリスクを常に内包しています。
株式持ち合いについては、2019年3月期から有価証券報告書における政策保有株式についてのディスクロージャーが強化されました。親子上場についても社外取締役の役割を強化すべき方向で議論がなされています。こうした動きが加速し、かつ実行されることで、わが国のコーポレートガバナンスの更なる透明化と公正さの向上が期待されます。
日本企業と対話していて、長年続いたバンク・ガバナンス時代の名残りを強く感じるときがあります。例えば、「自己資本比率(自己資本/総資産)は40%以上が安全、高ければ高いほど優良企業」という考えです。わが国では、銀行から融資を受ける際、取引を新規に開始する際の安全性指標として自己資本比率が重視されてきました。設備投資に多額の長期資金を要する製造業が経済成長をリードしてきたという歴史的背景がその理由でしょう。稼ぐ力の評価よりも、担保や資本金の多寡に裏付けられた返済能力が重んじられてきました。
いちごアセットマネジメントが金融を除くTOPIX500対象企業に集計した2018年度末の自己資本比率は40%です。また、現預金と有価証券の合計は有利子負債とほぼ同額なので、実質無借金の状況にあります
一方、海外の大手上場企業に目を向けるとどうでしょう。ダウ30種にも採用されているハンバーガーチェーンのマクドナルドの自己資本は2016年からマイナス、すなわち債務超過になっています。旺盛な自社株買いによって債務超過額は3年連続で拡大して2018年12月末には62億ドルに膨らんでおり、日本的な考えでは倒産リスクが懸念されるような状況です。しかし強いキャッシュフロー創出力を背景にS&Pの格付けはBBB+で投資適格を維持しており、株式時価総額は過去2年で2倍に成長しました。
マクドナルドは極端な例ですが、業績が好調でROEが高い企業ほど、高い資本効率を維持するために意識的に自己資本の抑制を図る必要があります。マイクロソフトは利益拡大で積み上がり続ける内部留保が、一時問題視されていました。これに対し、積極的な自社株買いで資本膨張の抑止に努め、自己資本比率を2014年6月末の52.6%から2019年6月末には35.7%に引き下げました。高い利益成長に加えて、借入金を活用した加重平均資本コストの低下によって、マイクロソフトの株式時価総額は過去3年で約3倍となり、アップルを抜いて世界一になりました。
コーポレートガバナンス・コードの【原則1-3.資本政策の基本的な方針】には、「上場会社は、資本政策の動向が株主の利益に重要な影響を与え得ることを踏まえ、資本政策の基本的な方針について説明を行うべきである」と標されています。
長期投資家が資本政策において最も期待するのは、自社が競争優位性を持つ成長市場への積極投資です。資本コストを意識しつつ、イノベーションと全社一丸となった経営努力でコア事業を成長させていくことが期待されます。
もう一つは、資本市場のスマートな活用による企業価値の向上です。IPO時の新株発行による資金調達の時を除けば、上場企業として資本市場を活用しているという実感が乏しい経営者は少なくないと思います。
しかし、M&A検討時のバリュエーションにおいて、買収候補および類似企業の株価を常日頃からチェックしておくことは高値掴みを避けるために欠かせません。また、自社の株主資本コストを客観的・公正に計算する上で、CAPM(Capital Asset Pricing Model)におけるベータ値や株式益回り(PERの逆数)などの資本市場の見方が参考になります。欧米の上場企業の中には役員報酬の算定において、市場平均や競合企業との中長期でみたTSR(Total Shareholder Return)の相対比較を導入しているケースが多くみられます。
日本企業で増加している自社株買いでは、資本市場のスマートな活用が企業価値向上ための必要条件です。「自社株買い=株主還元」と考えがちですが、目線を変えると「自社株買い=自社株に対する投資」です。自社の本源的価値の算定にあたって、経営陣は社外の市場参加者の誰よりも有利な立場にあります。
自社株買いには、「良い自社株買い」と「悪い自社株買い」があります。悪い自社株買いとは本源的価値を上回る市場価格での取得であり、1株当たり価値の低下をもたらします。言わずもがなですが、財務体質に余裕がなく、倒産リスクを高めるほどの自社株買いは絶対に避けるべきです。
一方、良い自社株買いとは、本源的価値以下の値段での取得であり、1株当たり価値の向上につながります。当然ですが、余剰資金があり、財務体質の悪化をもたらさないことが条件です。1株当たり純資産が本源的価値とすれば、日本企業の半分がPBR1倍割れの現状は好機といえるでしょう。
株式価値の希薄化を招く新株発行増資の正反対が自社株買いであり、発行済株式数の減少によってEPSなど1株当たり価値の将来にわたる向上をもたらします。その点が株主還元における配当との違いです。また、安定的かつ定期的な支払いが株主から期待される配当に比べて、自社株買いでは資本市場を機動的に活用してダイナミックな自己資本のコントロールが可能になります。
前述の金融を除くTOPIX500対象企業ベースの2019年度の予想ROEは9.3%です。仮に現預金と短期有価証券合計の2分の1を用いて自社株買いを行えば、ROEは10.9%と1.6%ポイント上昇すると試算されます。さらに投資有価証券の2分の1を上乗せして自社株買いを行えば12.8%へ高まり、欧米企業と比べても大きく見落とりしない水準になります。
株式持ち合いの解消、日銀が購入したETFの出口戦略として、現実的かつ最終的な方策として考えられるのは自社株買いくらいしか思いつかないのが現状です。
吉田憲一郎(よしだけんいちろう)いちごアセットマネジメント株式会社 副社長/パートナー
日興リサーチセンター(東京・大阪・NY)、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券、ゴールドマン・サックス証券などで総合商社、メディア、鉄鋼・非鉄などの業界を対象とした証券アナリスト業務に従事。2010年SMBC日興証券会社・株式調査部長を経て2014年より現職。
経済産業省「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」 プロジェクト(伊藤レポート)委員
1985年一橋大学商学部経営学科、2013年一橋大学大学院国際企業戦略研究科(ICS)卒。日本証券アナリスト協会認定アナリスト(CMA)