社外取締役の 獲得競争が激化

2021年6月15日

井伊重之(産経新聞論説委員)

[ 雑誌「コーポレートガバナンス」Vol.6 - 2021年4月号 掲載 ]

社長経験者の知見を生かす仕組みを経営人材の流動化も必要

改正会社法が3月から施行され、上場会社などに社外取締役の選任が義務付けられた。外部の視点で経営を監視し、経営の透明度を高めることで株主の信任を得るのが狙いだ。すでにほとんどの上場企業で社外取締役が選任されているが、会社法でも選任の義務化を求めることになった。

東京証券取引所の企業統治指針(コーポレートガバナンス・コード)も3年ぶりに改定され、現在の東証1部にあたる大手上場企業の場合、取締役の3分の1以上を独立社外取締役とするように求められることになった。2100社を超える東証1部企業のうち、独立社外取締役が役員全体の3分の1を超える企業は6割前後にとどまる。

すでに東証上場企業の社外取締役の人数は兼任を含めて7000人近くいるが、この基準が施行されると900人以上の社外取締役を新たに選任する必要が生じる。新たな指針は東証の市場改革に合わせて来年にも施行される見込みだが、社外取締役の基準を満たしていない企業は人材確保に追われ、思わぬ人材獲得競争の様相を呈している。

日本の企業統治改革は、ガバナンス・コードの整備を通じて段階的に進んできた。経営の執行と監督を分離し、社外取締役が参加する取締役会は経営の監督に専念することで株主からの付託に応え、企業の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上を図るのが狙いだ。そうした企業統治改革は、形式から実質が問われる段階に深化したとされる。

だが、企業統治改革の中核的な役割を期待されている社外取締役の人材が不足し、数合わせに走るような事態になれば、再び形式だけを整える段階に逆戻りしてしまいかねない。これを防ぐためには、経営に高い識見を持つ社長や役員経験者が別な企業の社外取締役に就任するような継続的な人材供給システムを産業界全体で構築する必要がある。

創業100年を超える老舗菓子メーカーの不二家が、社外取締役に女優の酒井美紀さんを起用した。実は酒井さんの場合、親会社の山崎製パンと以前から交流があり、その縁で不二家の役員就任が決まったようだが、最近ではフリーの女性キャスターらを社外取締役に起用する上場企業も増えている。そこでは「女性ならでは視点で経営に対してアドバイスしてほしい」という声が多い。

ガバナンス・コードでも役員の多様性(ダイバーシティ)の確保を求めており、社外から女性や外国人を社外取締役として積極的に起用することは当然である。とくに不二家のような食品メーカーや消費財メーカーの場合、主な顧客層である女性の視点を経営に生かす取り組みは、商品展開や企業イメージ向上の観点からも欠かせない。だが、女性の視点で経営にアドバイスするという仕事は、株主から社外取締役が求められる「経営に対する監督」という本来の役割を果たしていることになるのだろうか。

とくに最近では女性の弁護士や役員経験者を社外取締役に起用したいという企業が急増しており、人材不足の傾向が強まっている。これに伴って報酬水準も上昇しており、「年収1000万円では引き受けてもらえない」といった悩みも聞かれる。そこでフリーの女性キャスターらが社外取締役として盛んに登場することになるわけだが、こうした動きが企業統治の実効性を高めることにつながるとは思えない。

そこで注目したいのがスキルマトリクスだ。これは上場企業が取締役の専門性などを開示するシステムで、取締役会構成メンバーの専門性や能力などが一覧で示され、その取締役がどのような専門性を買われて選任されたかが外部にも分かる仕組みだ。経済産業省のCGS研究会(コーポレート・ガバナンス・システム研究会)のアンケート調査によると、このスキルマトリクスを作成しているのはまだ上場企業全体の2割ほどに過ぎないが、取締役会の構成メンバーの傾向が把握できれば、その取締役会で足りない要素を持つ人材を社外取締役として迎え入れやすくなる。

例えばヤマハ発動機の場合、企業経営や製造・研究開発、営業・マーケティング、国際感覚など8項目を示し、社内取締役と社外取締役、それに監査役がどの項目を満たしているかを示している。株主も取締役の資質が分かれば、会社側が株主総会に提出する役員人事案に対する判断が容易になる。また、キリンホールディングスは、昨年の株主総会で執行役員のスキルマトリクスまで開示した。現在の取締役だけでなく、将来の役員候補である執行役員の資質まで把握できるようになる。こうした「取締役の見える化」を図ることは、株主の理解を得やすくなるだけでなく、従業員の士気向上にもつながる。

先の経産省アンケート調査によると、東証1・2部の社外取締役の属性は企業経営の経験者が46%と最も多く、次いで弁護士が11.8%、公認会計士・税理士が11.1%、金融機関が10.2%となっており、その後に学者と官僚、コンサルティング会社出身者の順番となっている。経営に対する取締役会の監視機能を高めるためには、弁護士や会計士など専門のエキスパートだけでなく、やはり企業経営の経験者を社外取締役として選任することが望ましい。

だが、日本では社長経験者が退任後、同業他社の役員に就任することは、タブー視される傾向が強い。もちろん不正競争防止法で顧客情報など営業秘密を社外に持ち出すことは禁じられているが、社長や会長を退任した後、企業経営の知見を他社で活用することは経済界にとっても財産になるはずだ。経済界は政府に対し、かねてから労働市場の流動性を高めるため、労働規制の緩和を求めている。終身雇用や年功序列賃金など雇用慣行の見直しも大きな課題になっている。

それならば経営人材の流動化も同時に進めるべきだろう。労働市場の流動化は従業員だけでなく、経営人材も積極的に対象にすべきだ。そうした取り組みが経営の知見を持つ優秀な人材を社外取締役として招き入れ、企業価値を高めることにつながるはずだ。産業界全体の課題として考えたい。

井伊重之Shigeyuki Ii
産経新聞論説委員
コーポレートガバナンスに関する論考多数。政府の審議会委員なども歴任。

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