2007年の金融商品取引法の下で始まった、上場会社における内部統制報告制度の導入時には、多くの批判的な議論が渦巻いていたのである。それは、アメリカで先行して始まった内部統制対応が、余りにも形式的かつ画一的な手続に翻弄され、法外なコスト負担を強いられたことに起因していたのである。その為、わが国では、各社が、内部統制の本質を正しく理解して、創意工夫を凝らしながら効果的かつ効率的な整備・運用を行うことが期待されたのである。
そもそも内部統制とは、経営管理の一環として、業務を有効かつ効率的に推進するための一連のシステムであり、高度な倫理観を備えた経営トップが全社的なリスクマネジメントを的確に行い持続可能な組織体を構築していくことにほかならない。しかし、そうした経営に資する内部統制という視点が等閑視され、法律によって義務付けられた制度ということで、組織内の不正や不祥事の予防、抑止こそが内部統制の神髄と誤解されたため、多くの経営サイドからは疎んぜられる課題となってしまったのである。
そうではなくて、法制度としての内部統制の要請は、あくまでも、企業が社会的な存在として道を外すことのないように、健全な組織として最低限遵守すべき要件が規定されているに過ぎないのであり、それは、「守りの内部統制」と捉えることができるであろう。しかし、多くの優秀かつ誠実な構成員から成る会社の場合、そうした組織防衛という守りの内部統制に特化することは、いたずらにコストが増大するのみで、企業の発展や成長に貢献しないとの指摘もみられる。その際、今一度、内部統制の原点に立ち返って、真に強靭な組織を構築し、更なる発展を実現するために何をなすべきかを各構成員が自ら考えて行動する組織にすることこそ、「攻めの内部統制」と捉えることができるのである。
ところで、内部統制を中核とするガバナンス議論においても、「守りのガバナンス」と「攻めのガバナンス」といった捉え方をする向きが散見される。しかし、ガバナンス議論は、ソフトローという形での自主的な「コード」という文脈の中での議論が主流である。したがって、最低限遵守すべきガバナンスの議論をもって「守りのガバナンス」というのは基本的にあり得ないであろう。つまり、問題とされるガバナンスは、健全なリスクマネジメントを駆使して、当該組織本来の使命・役割をいかに効果的かつ効率的に実現することができる組織を構築することにあり、いわゆる「攻めのガバナンス」と解される視点こそが、ガバナンスの本質だからである。
ただ、現在喧しいのは、「コーポレートガバナンス・コード」という形で、あたかも、組織の体制を一律的に規定し、それを遵守させることがガバナンスの向上に資すると解されていることである。まさに、それこそが最大の誤解といえる。というのも、それは、かつての内部統制議論が辿った、ガバナンスの本質を度外視した不毛な議論だからである。
八田進二
青山学院大学 名誉教授