上場企業が政策保有株の売却を加速している。昨年10~12月期の株式売却益は前年同期に比べて4倍近い水準に急増した。とくに今年は年明けから株高が続いたこともあり、年度末にかけてさらに売却が広がった模様だ。グループ企業を含めた大量の政策保有株は、資本効率の低下を招く大きな要因と指摘されている。最近では東京証券取引所も上場会社に資本効率の改善を求めており、今後も政策保有株の売却は進みそうだ。
政策保有株の売却をめぐって金融市場を驚かせたのがトヨタ自動車だ。同社は昨年12月、グループ内の豊田自動織機、アイシンとともにデンソー株全体の約10%(約6700億円相当)を売却すると表明し、逆にデンソーも豊田自動織機とアイシンの株を手放す方針を打ち出した。トヨタグループでは豊田自動織機の自動車部から誕生したトヨタを中心に、強固なサプライチェーン(供給網)を構築している。その頂点に位置するトヨタ自動車が部品や素材を提供するグループ各社の一定株式を所有しており、なかでも豊田自動織機とアイシン、デンソーの3社は「トヨタ御三家」と呼ばれる強い結び付きを誇ってきた。その3社が政策保有株の売却に動き始めたことで、産業界でも株式持ち合いをめぐる構図は大きな転換期を迎えている。
トヨタグループは政策保有株の保有目的を再定義し、必要以上には保有しない方針を決定した。これを受けてグループの源流会社である豊田自動織機は長年保有してきたグループ各社の株式の売却を積極的に進めており、23年4~12月期の株式売却益は2193億円と上場企業の中で最高額を記録した。同社はその売却益を電気自動車(EV)関係の開発費用に充て、新たな成長を目指す構えだ。さらにアイシンやジェイテクトなどのグループ会社は将来的に政策保有株をゼロにする方針を掲げるなど、株式の相互持ち合いで強固な関係を築いてきたトヨタグループの資本構成は変貌しようとしている。
野村資本市場研究所によると、上場企業が他の上場企業の株を持つ持ち合い比率(時価総額ベース)は、バブル経済時代の1991年度の50.7%から22年度には11.7%まで低下した。日本では高度成長期の1960年代から株式の相互持ち合いが広がったが、持ち合い比率はここ4年連続で下がっており、22年度は過去最低を更新した。株主主体別では損害保険会社が前年度に比べて保有比率を維持したものの、上場事業法人や上場銀行、生命保険会社はともに低下。とくに上場事業法人は前年度に比べて0.5ポイント低下し、最大の保有比率低下主体となった。
この流れに弾みをつけたのが東京証券取引所による昨年3月の要請だ。東証は保有する資産の規模に比べて株価が割安であることを示す「PBR(株価純資産倍率)1倍割れ」となっているプライム市場とスタンダード市場の上場会社に対し、資本コストを意識した経営改善を求めた。この要請当時、プライム市場に上場する企業の約半数、スタンダード市場に上場企業の約6割がPBR1倍を下回る水準だった。これまでの東証は「顧客(上場企業)に注文を付けるのは憚られる」などと消極的な姿勢だったが、企業価値の向上を促すためには資本コストを意識した経営改革が不可欠と判断した。
企業価値評価の理論や実務で用いられるサステナブル成長モデル(定率成長モデル)によると、PBRが1倍を上回る条件はROEが資本コストを上回る必要がある。ROEは投資家が提供した資本に対し、企業がどれだけ利益を上げたかを示しており、投資家の期待の表れだ。このため、事業に回せるはずの資金を株式の持ち合いに充てるのは資本効率が悪く、機関投資家の評判は悪かった。投資家が提供した資本が企業価値を高めることに向けて効率的に活用され、政策保有株が減少すれば、PBRは向上する。もちろん事業会社同士が相互に株式を持ち合っている場合、一方的な売却は難しいが、その保有目的を明示できなければ、投資家からの売却圧力がさらに高まるのは必至だ。
米議決権行使助言会社のインスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)は昨年末、日本向けの助言方針を改定し、新型コロナウイルス禍の拡大で停止していたROE基準を復活させ、一定の水準を満たさなければ、経営トップの取締役再任議案に反対を推奨する方針だ。24年2月以降に開かれる株主総会から適用を始めており、今年6月の株主総会シーズンは資本コスト経営が大きな焦点になる。
ISSによる基準は、過去5年の平均ROEが5%を下回り、かつ直近年度のROEが5%未満の場合は原則、経営トップの取締役再任に反対を推奨する内容だ。世界的に新型コロナが広がったことで企業業績が急速に悪化したため、同社は20年6月にROE基準による評価を停止していたが、感染の収束に伴って再開を決めた。さらにISSは25年度以降、このROE基準を5%以上に引き上げる方向で検討している。
大量の政策保有株を持つ損害保険各社は「保険取引の維持・強化」などを保有目的に掲げてきたが、保険料調整問題で金融庁は大手損保に対しては業務改善命令を発令した。そして持ち合い株を通じた不透明なもたれ合いが不正行為の温床になったと見た同庁は、損保業界に政策保有株の売却を求めた。これを受けて各社とも政策保有株の売却を進める方針だ。この方針が伝わると資本コストの改善に対する期待が高まり、損保各社の株価は軒並み上昇した。今後は銀行業界でも政策保有株を売却する動きが広がると見られており、日経平均株価が大きく上昇する中で株式市場は様変わりしようとしている。
井伊重之Shigeyuki Ii
産経新聞客員論説委員、経済ジャーナリスト
コーポレートガバナンスに関する論考多数。政府の審議会委員なども歴任。