トップマネジメントとして備えたい「伝える力」

2024年11月12日

加藤茜愛(アカネアイデンティティズ CEO)

[ 雑誌「コーポレートガバナンス」Vol.16 - 2024年8月号 掲載 ]

エグゼクティブスキルとしての「選ぶ言葉の質」

「人が意見に反対するときは、その伝え方が気に入らない時である」19世紀の哲学者ニーチェの言葉は、現代においても多くの共感を呼ぶのではないでしょうか。あらゆる意思決定の場において多様な意見や視点が交錯します。その裏には、経緯、価値観、利害関係や忖度すらも存在しているでしょう。そのうえで、意見が健全な意図通りに伝わるかが重要で、その伝え方によっては反対意見を招きかねないということなのです。ビジネスパーソンとして成熟された方にとっては、まさかそのようなことがあるのかと思われるかもしれませんが、いつの間にか決定事項が覆っていた、あるいは、自分はそこから外されてしまった、そのようなことはないと言い切れるでしょうか。人は合理的な判断をしているようでしていないこともあり、その根底にある「正論だとわかっているけど、言い方が気にくわなかった」という人間ならではの一面が、冒頭のニーチェへの共感につながるのでしょう。

反面、言葉が心を動かすこともあります。忘れられない経営トップの言葉を紹介します。私が勤めていた航空会社で競合同士の合併により収益の根幹となる国内線のシェアが逆転する可能性に晒され、経営危機が訪れた時のことです。当時の社長は、弱気や不安を抱く社員に対し、否定や批判、また喝を入れるようなことはありませんでした。ただ「量で負けても質で勝とうや」というメッセージが届いたのです。その言葉は私たち社員の共感を生み、そして「質」とは何かと考え、行動する主体性とチームワークを育み、その後V字回復を遂げたのです。すなわち「心に沁み入る伝える力」が、会社の命運をも変えていくきっかけになりました。

社外取締役が備えておきたいスピークアップ力〜心理的安全性構築の先にある成果のために〜

オランダの心理学者ヘールト・ホフステード博士の国民文化6次元モデル (1)によれば、日本人は集団主義の傾向が強く、不確実性回避のスコアも高いとされています。これは、意思決定においてコンセンサスを重視し、リスクを回避する傾向が高いことを意味します。私はこうした文化的背景も理解しつつ、どのように異なる意見を伝えるかが、課題解決の突破口になることを実感しています。

健全な関係性を築くことは、あらゆる意見に聞く耳を持ってもらうための土台です。特に社外取締役は経営を監督する役割を担っており、批判や否定をも覚悟のうえでの発言力は不可欠です。時には社内の人は触れられたくない論点にも言及しなくてはなりません。しかし、その意見が「流されて」しまったり、逆に発言しない、発言できなかったりでは、その存在意義に疑問符が生じます。また、独立性の高い立場だからといって語彙の選択に配慮が欠けたり、自覚はなく敵対的な印象を持たれたりしてしまっては、信頼構築は難しくなるでしょう。そのことが、忖度はおろか、隠蔽にすら繋がってしまう懸念もわきます。また、社外取締役は企業の成長と繁栄を促進するためのアドバイザリーボードの役割も担っています。社内で気づくことのできない視点での建設的な意見がたとえ厳しいものであったとしても、信頼関係が築けていれば受け入れられ、潜在的な可能性に向かいやすくなります。

VUCAを経てBANIで備える文化的知性(CQ)としての「伝え方」

日本企業は長い間、同質性の中で「自社らしさ」を大事に成長してきました。異質なものは排除し(出る杭は打たれる)、似通った価値観の中で結果を出してこそ社内での評価につながり、昇進を重ねてきた歴史があります。その結果、失われた30年が更に重なってきています。その時代を担った一人としても、人手イコール戦略人財ではないこと、「会社は誰かがよくしてくれるもの」と依存心と消極的かつ批判的思考の強かった自身の過去の体験は「人罪」でしかなかったことを実感しています。仮に働ける人の数だけ増えても、その人たちが持つ潜在性を引き出し、その能力が発揮され、価値創造に繋げることができなければ、真の目的は達成できないのです。

2000年以降、よく耳にしてきたVUCAという世代を表す表現以降、世界情勢はより混沌とした時代になっています。技術革新のスピードに追いついていけない人の焦りや不安が、さまざまなハラスメントやメンタルヘルスが原因の疾病による経済的な損失を招いている可能性も否めず社会問題でもあります。

このところHRの領域で耳にするフレームワークBANI(Brittle もろさ、Anxious 不安、Non-Linear 非線形、Incomprehensible 不可解さ)は、常態化したVUCAの時代への対処法として国際会議等で紹介されており日本社会にも当てはまると捉えています。それぞれの状態を克服していくために有効なのは、人の心を中心として捉えた対応です。すなわち、「もろさ」には回復力(レジリエンス)を備え、「不安」には「共感」が有効で、さらには、常識を覆される「非線形」や「不可解さ」への対処として「即興性」や「多様な視点」を持つことで私たちはこの時代を乗り越えていけるのです。理論として理解するのみならず、自分の「心」「感情」と向き合い、身近な人との共感性を大切にして、言葉を丁寧に選び、お互いの思いを受け止めながら、共に変わっていく時がまさに今なのではないかと思うのです。

VUCAから30年、現在の社会現象を表すBANI

日本のビジネスシーンでは、感情を抑え、理性的に合理的な行動が求められ、評価されてきました。しかしこれからは、「人間」としての感情を適切に言語化して表現し、そのようなことができる「場」を共有できることの価値を高めていきたいと考えています。感情は人的資本の源であり、やる気やワクワクが未知の可能性にチャレンジできる意欲に変わり、結果を導く力になります。その感情を最も左右させるのが「伝え方」であり「言葉」なのです。

多様な人材が「人財」となって主体的に活躍し、社会課題を克服していくためにも、あらゆる背景(コンテクスト)を持つメンバーの成長を促しながら、社会を築いていける一員として尽力していきたいと考えています。

加藤茜愛氏

加藤茜愛Akane Kato
アカネアイデンティティズ株式会社C.E.O.
株式会社SUMCO、株式会社ゆうちょ銀行 社外取締役。
国家資格キャリアコンサルタント
経営学修士
国内⼤⼿航空会社にて約30年勤務の後、2014年に自社を設⽴。複数企業にて社外取締役・顧問としての実務を担いながら、コンサルタント・研修講師・講演家・著者として活動している。

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