何が日本的経営を腐食させたか

2024年11月12日

森一夫(ジャーナリスト)

[ 雑誌「コーポレートガバナンス」Vol.16 - 2024年8月号 掲載 ]

「JTC」(ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー)という言葉が最近、ネットやマスメディアで目につく。時代遅れの古い体質の日本企業を指し、一時は世界を席巻した「日本的経営」の失墜を皮肉る意味合いがある。

終身雇用、年功序列、企業別組合が日本的経営の三種の神器として知られる。旧日経連(現経団連)は1995年5月に発表した『新時代の「日本的経営」』で、「人間中心(尊重)の経営」と「長期的視野に立った経営」の二本柱を日本的経営の理念と定義している。

この旧日経連の提言書は、バブルの崩壊で暗転した経営環境を乗り切る方策を企業に示したものである。終身雇用のほかに、有期雇用による「高度専門能力活用型」と「雇用柔軟型」の2類型の雇用を提案した。企業は実際に非正規雇用を増やし、当時20%程度だった非正規雇用者の比率は現在、2倍近くに高まっている。

不安定な低賃金労働者が増加して、「人間中心(尊重)の経営」が揺らぐ結果になった。しかし大手企業の経営者はもともと、従業員の家族の生活にも配慮して雇用責任を重く考えてきた。

第一次石油危機後、日本経済新聞で繊維産業を担当したときである。ある合繊メーカーの社長が取材の前に、技術系社員のリストを見せて「君の新聞社で科学技術担当記者として雇えないか。残念ながら減らさざるを得ないので、いろんなところにお願いしている」という。社員の再就職先を大企業の社長が親身に心配する姿に驚いた。

とはいえ昔から臨時工などの非正規社員は雇用の調整弁として存在した。90年代から急増したのは、低賃金で使えて雇用を柔軟に増減できるメリットに、企業が改めて着目したからである。当時、債務、雇用、設備の3つの過剰が「三重苦」となって経営を圧迫していると経済団体は訴えていた。

バブル経済の後遺症である三重苦を解決するため、企業は正社員の採用を絞って非正規社員を増やすとともに、正社員の賃上げを抑えた。また過剰設備を減らし設備投資も必要最小限に圧縮した。こうして過剰債務の解消を図った。

個々の企業にとって、いったん縮小均衡を図るのは、当面の危機を脱するために合理的だった。ところがリーマンショックや東日本大震災などが相次ぎ、円高、高い法人税、労働規制、電力不足などが加わり、経営者は「五重苦」「六重苦」を訴えるようになる。

合成の誤謬がデフレに

ダメ押しは新型コロナウイルスの流行である。目先の対応に追われ続けて、コスト削減を優先する経営が習い性になった。個々の企業にとって生き残るための合理的な選択が合成の誤謬となり、日本経済はデフレに陥った。失われた三十年を経て、日本のGDPは中国に続いてドイツに昨年抜かれて世界4位に後退した。来年にはインドにも抜かれる可能性がある。

「人間中心の経営」も「長期的視野に立った経営」も今や形無しである。かつて輝いていた日本的経営を腐食させたのは、株主重視の新自由主義ではない。内在する要因による。例えば企業別労働組合は雇用を守るため、経営側に協力して賃上げを長い間控えた。

中小メーカーの労組が多く集まる産別組織であるJAMの安河内賢弘会長は5月22日付日本経済新聞で、この三十年を振り返ってこう述べている。「雇用を守るために非正規雇用、賃下げ、最終的にはリストラも受け入れた」。「労働組合がデフレに陥った戦犯だとは思わないが、共犯であることは間違いない。デフレの時代においても、『自分たちの生活は苦しい』という組合の基本的な主張を忘れるべきではなかった」 「人間尊重」を旨とした経営者と労働組合が「雇用」を本心から守ろうとしたことは認める。だが実際に守ったのは「うちの会社」である。超金融緩和政策も企業すなわち経営者を助けた。

大企業の財務内容は強固になった。大企業の2020年度の現預金は2000年度と比べて85%増えて約90兆円になり、内部留保は同期間に2.7倍の約242兆円に増えている。対照的に人件費は0.4%減った。設備投資も5.3%減である。数字は、政府が非財務情報可視化研究会に提出した基礎資料(2022年2月)から拾った。

資本市場の圧力には株主還元を優先して応え、成長戦略は滞った。ヒト、モノへの投資が抑制されて、イノベーションは沈滞した。巨大IT企業やAI半導体の巨人が台頭した米国と比べ、相変わらずトヨタ自動車を筆頭とする日本の産業界は対照的である。

自律的人材の活用を

守りの経営に片寄った原因は、日本人の基層にあるメンタリティーに根差す。「日本の会社は江戸時代の藩のようなものだ」という経営者がいた。滅私奉公で「お家の大事」を優先する思考様式が今も、基本的に根強く残る。

バブル時代までは、企業一家意識は全社の力を結集するのに役立ち、「日本的経営」はうまく機能した。ところがゆとりを無くして逆回転が始まると、村社会的な企業風土は、ものが自由にいいにくい空気を生み閉塞感をもたらす。

「忖度」や「KY(空気を読む)」といった言葉に象徴される他律的な思考をする人が少なくない。

国立青少年教育振興機構が2022年に実施した日米中韓4カ国の高校生の意識調査によると、若者にもその傾向が強く見られる。「周りの人の意見に影響されるほうだ」とする回答は、「とてもそう思う」28.9%と「まあそう思う」44.8%を合わせて73.7%に上る。2014年調査より10ポイント高まり、米国を14.1ポイント、中国を18ポイント上回る。表が示す通り、調査対象がインターネット利用者に限られるが、日本の若者は社会を積極的に担おうとする人の割合が、外国と比べてかなり少ない。

だからこそ企業は貴重な自律的人材を意識的に活用すべきだろう。同質的な集団からは革新は生まれない。中途採用を積極的に増やす動きも目立ってきた。人材の流動性が高い社会になれば、起業も活発になるはずだ。

問題は「JTC」思考をいまだに引きずる経営者である。経営層の新陳代謝が必要である。斬新な発想ができる経営者を増やすため、大胆な若返りが欠かせない。

出所:日本財団の「18歳意識調査」―国や社会に対する意識(6カ国調査)より。各国の17―19歳の男女合計1,000人を、2022年1月26日から2月8日にインターネットで調査。グラフは「はい」の回答率(単位%)。

森一夫氏

森一夫 Kazuo Mori
ジャーナリスト
1972年早稲田大学政治経済学部経済学科卒、日本経済新聞社入社。産業第三部記者、日経ビジネス副編集長を経て、90年産業部編集委員。95年から論説委員兼務。99年コロンビア大学東アジア研究所・日本経済経営研究所客員研究員。2003年早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授兼任。2003年論説副主幹。2010特別編集委員、2013年日本経済新聞社を退職し現在に至る。

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