人的資本経営におけるジョブ型雇用

2025年2月 6日

横山美帆(清水謙法律事務所 代表 弁護士、株式会社スターフライヤー 会長)

[ 雑誌「コーポレートガバナンス」Vol.17 - 2024年12月号 掲載 ]

ジョブ型雇用

人的資本経営の浸透に伴い、雇用システムにはジョブ型を導入すべきだ、という機運が強まっている。三位一体(リスキリング、職務給の導入、成長分野への労働移動)労働市場改革の指針に関連して、令和6年8月28日には、ジョブ型人事指針が出され「日本企業の競争力維持のため、ジョブ型人事の導入を進める。」として、従来の長期雇用制度であるメンバーシップ型を変化させていくことが日本経済のさらなる成長のためにも急務であると指摘する。令和2年9月に出された人材版伊藤レポートも人材戦略と経営戦略を同期させるプロセスを通して、ジョブ型への雇用形態の転換を後押ししている。

しかしメンバーシップ型とジョブ型のシステムは、企業の人事権行使においては大きな差異がある。

1970年代以降高度経済成長期に出現し、裁判実務を通じて醸成されてきたメンバーシップ型の制度とは、権利濫用法理により企業の解雇権を制限しつつ、配転や出向などの人事権については広く裁量を認めた上で、企業は従業員の年功序列型賃金と雇用を、定年まで守り抜く仕組みである。

他方でジョブ型とは、雇用契約において労働者が履行するジョブ(職務)が特定されるために、ジョブの変更については従業員の同意が必要であり、企業の人事権もジョブの範囲に限定され、ジョブがなくなれば、本来は雇用契約が終了することが前提となる仕組みである。またジョブ型は、法的に定義された制度ではないため、労働基準法における労働時間規制をはじめとするその他の労働条件の制約に服するものである。

日本の雇用システムとしては、50年以上の長い歴史をもつメンバーシップ型が土台となっている。今後ジョブ型を導入していくということは、例えていうならば、パソコンのOS(基本ソフトウェア)はメンバーシップ型のままに、その上でジョブ型のアプリを走らせていくようなものである。OSは依然としてメンバーシップ型であるために、例えばジョブがなくなった場合に、本来のジョブ型が前提としている解雇が可能となるのか、はたまた企業は依然として雇用を守らなければならないのか、またジョブの変更について従業員の同意があれば(今まではあまり法的には認められなかった)賃金引き下げは可能なのか、など今の日本の労働法制において社会を規律してきた法的規範と対立する局面が今後多数発生してくるはずであるが、これらの問題を法制上どのように取り扱うのかという具体的検討はなされていない。法的リスクを軽減して予見可能性を持つためには、現行法の枠内で判例法理が変更されるか、あるいはジョブ型の法律を国会が制定しその法律に裁判所が拘束されるかのいずれかを待つしかないが、それにはかなり時間がかかると思われる。

そうであっても筆者は、ジョブ型を導入していくことに賛成である。ジョブ型の導入には、企業の経営戦略の実施に必要な人材戦略を立てやすくなる、自律的なキャリア形成を従業員自らが意識し会社と話し合う機会を持つことができる、外部市場から中途採用で優秀な人材を確保することが容易になる等のメリットがあると考えるからだ。

企業としては導入に際して、法的な紛争における予見可能性がないリスクを承知の上で、ベストプラクティスを達成するために覚悟をもって導入していくことが必要である。

ディーセント・ワークの実現

1990年代のバブル崩壊から30年以上の時が流れた。バブル当時に企業は、正規雇用人材を抱えすぎていたという反省から、景気悪化時に労働力を弾力的に減らすことができるように、正規雇用ではなく非正規雇用を増やした。雇用全体に対する非正規社員比率は37%となっている。多様な働き方を求めて非正規雇用を選んでいる人がいることも否定できないが、やはり非正規雇用の拡大とともに、年間収入が100万円から300万円台という雇用者層が増えており、若年層においては経済的な理由から結婚を諦める、子どもを持つことを諦めるという声があがっている。日本における非正規雇用の増大は、バブル崩壊の爪痕であり、企業起因の社会問題ともいえる。

また、最近の若年層は、定年まで一社に勤めていこうという気持ちは最初から持たずに転職を繰り返す傾向が強い。その場合、一定のスキルを持っていなければ、転職がスキルレベルや待遇の向上にはつながらないため、彼らがどういうキャリアを形成していけるのかという問題も将来的には起こってくるであろう。

ジョブ型が導入されれば、働く側もまた「ジョブがなくなれば雇用関係が終了する」(かもしれない)という前提に基づき、覚悟を持って自己研鑽に励み、自らの市場価値を高めていく不断の努力を続ける必要がある一方、スキルさえあれば新たなチャンスの可能性も生まれる。自ら選択するジョブに必要なスキルを高め、メンバーシップ型では雇用される機会がなかった企業でも、中途採用の扉がより多く開くようになれば、現在及び将来における雇用の問題解決の一つの糸口になっていくかもしれない。

ILOのスローガンとなっているディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)という概念がある。働く機会の確保や、ライフワークバランス、公正な取り扱いを受けること、自己の鍛錬の機会があること、という願望の集大成である。

松下幸之助は、「企業は社会の公器」として企業の社会的責任を示した。現代において資本主義の貫徹に制約はないため、大企業は小国をもしのぐ経済規模となっている。企業が社会の公器として、働く人のディーセント・ワークの実現を目指し、その活力が企業の利益向上にも資するような理想を目指して社会問題を解決していくことも、人的資本経営の目的の一つといえるのではないか。

仕事は、生活の糧を稼ぐためのものではあるが、それだけではない。自らを成長させ、社会に必要とされ、人生を豊かにしていくものであると信じている。その価値観や希望を将来世代に繋げていくことも企業の経営を担う我々の責務である。日本の活力を取り戻すためにも、多様な働き方による自己実現を可能にしていきたい。

横山美帆氏

横山美帆Miho Yokoyama
清水謙法律事務所 代表 弁護士、株式会社スターフライヤー 会長
上智大学国際関係法学科卒。1993年から2011年まで米系穀物商社カーギルジャパンの資金運用部にて、日本国債・日本株式・不良債権・不動産の運用担当。退社後慶應大学法科大学院を経て2016年に司法試験に合格、清水謙法律事務所(現 代表弁護士)。使用者側労務問題が専門。現在スターフライヤー会長、ディア・ライフ、インフォネット、日本パワーファスニング、RPAホールディングスで社外役員を務める。

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