コーポレートガバナンスの「形式から実質へ」が叫ばれる昨今、「日本の機関投資家や経営者にはフィデューシャリー・デューティー(以下、FD)の意識が足りない」「日本の法制度にはFDがないから規律が働かない」といった言説を耳にすることがある。果たしてFDは意識の問題なのだろうか、また日本の法制度には本当にFDはないのだろうか。本稿ではこれらの疑問に答えるべく、FDの母国である英米の沿革にも触れつつ言葉の意味を考えたい。なお、本企画の趣旨に基づき分かりやすい記述を優先しているため、詳細な議論については参考文献をご覧いただきたい。
FDは日本語で「受託者責任」や「信認義務」と訳されるが、それは契約上の義務や、倫理的・道徳的な責任とは何が違うのだろうか。まずはFDの起源を辿ってみたい。
英語のfiduciaryは、「信頼・信用できる人」という意味のラテン語であるfiduciariusが語源だといわれる。このfidは「信じる」という意味で、身近な英単語だとconfidence(自信)やfidelity(忠実)にも通じる。
ではフィデューシャリーとはどのような人のことかといえば、典型的には医者、弁護士、会社の取締役(1)などが当たるとされる。また広くは広告代理店や建設請負業者などに責任が認められた事例もある。これらの人々に共通するのは、①専門性が必要なサービスについて、②何らかの財産または権限を、③一定の裁量を以て託されており、④託した人にはそれを逐一モニターすることが困難なことである。
かつて封建的な社会では人々の関係は身分制が支配した。領民に生まれたら領主に年貢を納めなければならないなど、選択の自由がない社会である。それが近代になり契約関係を結べるようになると、人々は対等な個人として自由に売買や賃貸借ができるようになった。しかしながら契約関係は自分の身は自分で守らなければならない弱肉強食の関係でもある。信認関係も自由に結ぶことができるが、契約関係とは異なり、一方がある事柄において他方に依存する関係である。依存するが故に、自分には手に負えない高度なことも託すことができる半面、裏切られるリスクもある。でもこれは分業と専門化を特徴とする現代社会において不可欠な関係である。
FDがなぜ重要かといえば、このように何かを託した人は弱い立場にありながらも、受託者にFDが認められると、義務違反に対して差止めや利益の償還など手厚い救済を受けられるからである。また、そのことが翻って、受託者が委託者の利益を適切に図る動機付けになる。英米においてこうしたFDの具体的な内容は法律で一律に定められているわけではなく、個別事案ごとに裁判所が判断し、それが積み重なることでやがて一定の規範となって人々に受入れられる。
FDが「何かを託すこと」という人間の基本的な営みから生じる以上、FDに近い概念は古くは聖書や、ハンムラビ法典にもあるとされる。しかしながら今日的なFDの起源は14~15世紀の英国にあるという説が有力である。
11世紀末の十字軍以来、英国では領主が戦地に出征した場合、その領地の管理を友人に託した上で、領地に残す妻子の面倒を見て欲しいと頼むことがあった。これを土地の信託と見ると、領主が「委託者」、友人が「受託者」、妻子が「受益者」に当たる。
当時の英国は、地方分権的なドイツと対照的に、国王の下で中央集権化が進み、「王国内に共通する法」として、判例法である「コモンロー」が形成されていた。このコモンローでは委託者たる領主(出征して不在地主)や、受益者たる妻子よりも、実際に土地を管理している受託者が所有権を主張しやすいというのが判例であった。そこで、例えば領主が戦地で亡くなった後にも妻子が土地の収益に与れるのかといった争いが起こったのだが、先例を重視するコモンローの下では、領主家族は救済されないことが多かった。3世紀にも渡り「実質より形式(先例)」の判断がなされたわけである。
そこでもう一つの救済方法として「エクイティ」が登場した。コモンローによる救済に不満を持った人々は国王に直訴し、国王は大法官と呼ばれる高位の裁判官に公平性(エクイティ)の観点から裁量的な問題解決を行うことを命じた。大法官には通常僧侶が就いたことから、必ずしも法律に縛られず良心に基づき、領主と友人が何を約束したのかや、妻子は何を期待していたのかなどが是々非々で判断された。こうして「形式よりも実質」に基づいて、弱い立場にある委託者や受益者の期待を保護する道が開けた。こうした救済法はエクイティ(衡平法)と呼ばれ、やがてこの受託者に課された責任体系がFDへと発展した。FDは裁判所が履行を求めることができる法律上の義務だが、それは契約上の義務以上に公平性という観点から倫理性や道徳性を帯びた義務でもある。
エクイティという言葉が出てきたところで、企業経営の話に移りたい。今日「エクイティ」といえばビジネス用語で株主資本を意味するが、これはエクイティの法概念に基づいてequitable ownership(公平な持分)という会社持分を創造したことに由来している。株式会社においては株主を委託者・受益者、取締役を受託者とみなすことができるので、会社法が未発達な時代にはエクイティの下で発達した信託法理や代理法理が援用されたと考えられる。
他人の財産を管理する信託法理や、他人のために行動する代理法理において重要な概念が、当人のために相応の注意を払って行動する「注意義務」と、当人との利益相反行為を制限する「忠実義務」である。株式会社がエクイティの流れを汲んでいることから会社の取締役はフィデューシャリーとみなされ、前述した①~④の特徴にも当てはまる。そこで、注意義務とはプロフェッショナルである取締役が自分の事柄と同等の注意を払って株主の利益を増大させるべきだという積極的な義務(べしの義務)、また忠実義務とは株主の利益よりも自己の利益を優先させてはならないという消極的な義務(べからずの義務)として整理されていった。
こうした取締役の義務は、会社の経営や成果の分配を巡って株主と取締役の間で争いが起こる中で判例を通じて確認されていった。もっとも、争いが起こらないように、取締役の義務の内容をあらかじめ契約で詳細に規定しておくことも考えられる。しかしながらそうしないのは現実の経営判断は複雑かつ高度なものであり、事前に完璧な契約を書くことが困難だからである。これは「契約の不完備性」と呼ばれる問題である。それよりも専門家たる取締役を信頼して裁量を与え、株主が不満であれば事後的にFDを問う方がより少ないコストで大きな便益が得られるとの判断がある。
しかし後知恵でFDを厳しく問いすぎると、取締役が萎縮して自由な経営判断ができなくなり、そもそも取締役のなり手がいなくなるといった問題が起こる。これは後述するように機関投資家の活動が活発化する1980年代以降、株主代表訴訟と敵対的買収が増加して特に問題になった。
そこで判例を通じて株主利益増大のため適正なプロセスを経て行った行動はたとえ結果的に失敗に終わっても注意義務違反を問われないとする「経営判断原則」が確立している。ここでのプロセスとは取締役会が利害関係を持たず、相当の注意を払うことなどを意味しており、独立取締役が重要になる所以である。一方で忠実義務については本来すべきでないことを行っているため経営判断原則は通常適用されず、裁判所によるより立ち入った審査が行われる。
ここで注意義務と忠実義務の両者が重なる領域が問題になる。例えば支配権を巡る争いが生じている場合には、会社の帰趨を巡る重要な経営判断と、取締役が自らの地位を守ろうとする利益相反的な立場の双方を考慮する必要がある。
具体的には、米国では1980年代の敵対的買収ブームの中で、裁判所は買収防衛策導入の是非を判断するに当たり独立取締役の存在をより重視した。すなわち、買収防衛策という利益相反的な経営行動を取る場合、取締役会の独立性が一層求められたのである。よって経営陣は経営判断原則による保護を受け、自社を敵対的買収から防衛するために自ら独立取締役を増やすインセンティブを持った。米国において独立取締役の過半数が義務化されたのはエンロン事件後の2002年だが、実際の構成比は1980 年の31%から1990年には60%へと急増(2)し、支配権市場の活性化が社外過半数の引き金になったといえる。(3)
興味深いのはこの1990年頃を境に米国で経営者の解任が増加することである。象徴的なのは1992年のGMにおける会長と社長の解任だとされる。その後数年の間にコダック、アップル、IBMでも同様のことが起き、右の解任後GM会長に就任したジョン・スメールは「10年前には想像すらできなかったこと」と振り返っている(4)。取締役会に経営者の部下や友人がいたのでは、およそ解任は起こらない。支配権市場の活性化が独立取締役の比率及び独立性を高めたことが背景にあると考えてよいだろう。
米国では前述の経営判断原則があることから、経営判断の失敗については注意義務違反を通常問われない。それでも、取締役会の独立性が確保されていれば必要に応じて経営者の解任は起こりうる。このように、FDそれ自体は経営者の経営責任を厳格に問う規範ではないものの、支配権市場の規律を背景に、FDの存在が取締役会の独立性を強化し、結果的に経営責任がより厳しく問われる状況になったという意味では、米国におけるガバナンス改革の原点にはFDがあるといえる。統計的にもデラウェア州において会社関係の訴訟のうち78%はFDに関する訴えであり、更にそのうち78%が企業買収の場面で提起されたとする研究も紹介されており(5)、FDと支配権市場の関係は深いことがわかる。
他人の財産を管理する者に課されてきたFDの淵源に鑑みれば、機関投資家がフィデューシャリーに当たることも理解できる。
英米において近代的な資産運用は投資信託という形で発達した。産業革命をいち早く成し遂げた英国では大衆の資本蓄積も早く、19世紀後半には投資信託として小口化された投資機会が提供されるようになった。しかし人々は前世紀に南海泡沫事件という大きなバブルがあったことから当初投資には慎重であった。そこで安心して投資して貰うためにFDによる救済がある信託の形態が採用されたといわれる。それから1870年代の英国大不況を経て投資信託の配当支払い停止や、それに対する訴訟があり、監査制度がより充実した会社型の投資信託がメジャーになっていった。
投信は1920年代になると第一次世界大戦後の好況を謳歌した米国でも広まった。しかし間もなく大恐慌が発生すると投信が相次いで破綻したため、SECは投信関係者の利益相反行為(資金流用、法外な手数料請求など)を調査し、これが1940年制定の投資会社法に繋がった。そこでは投信の独立取締役比率を40%以上とすることや、情報開示などが定められた。更に、1970年の同法改正では独立取締役比率が過半数に引き上げられた。このように、問題が起こる度に機関投資家自身のガバナンス水準を引き上げることで顧客投資家との利益相反を管理し、より高い運用成績を上げるべく監督が強化された。
機関投資家のFDが顕著にコーポレートガバナンスに影響を与え始めるのは1970年代からである。背景にはアセットオーナーにおける変化がある。米国では63年に自動車会社スチュードベーカー社の年金破綻が起きたことなどをきっかけに年金受益者保護が叫ばれるようになった。その後政権交代の紆余曲折を経て成立したのが74年のエリサ法である。同法は年金受託者のFDを法律で定め、思慮深い投資行動を行う「プルーデントマン・ルール」やリスク分散のためのポートフォリオ運用が厳しく求められた。
しかしこの時点では企業年金は資産のうち10%を上限に自社株への投資が可能であったことから、基金中の自社株・他社株についていわば日本の株式持合のように経営者の介入で議決権行使が行われ、敵対的買収の防衛に使われる事例が見られた。これに対してエリサ法を所管する労働省は複数の年金基金をFD違反で訴訟提起した。こうした動きが88年に「エイボン・レター」という労働省発出の書簡となり、年金基金はFDとして受益者の利益最大化のため議決権行使することを義務づけられた。
こうしたエリサ法上のFDは会社取締役のFDよりも更に厳格だといわれている。それは会社の場合株主は経営に不満があれば株式を売却したり、株主総会で取締役を交代させたりする手段があるが、年金加入者は脱退・転職しない限り当該年金基金に運用を依存しているからである。このように機関投資家が厳しい法的FDを負ったことで投資や議決権行使の判断レベルが上がり、結果的に会社取締役が負うFDもより厳しく追及されることになったといえる。
それではここまで見てきた英米のFDは果たして日本にも存在するのだろうか。まずは会社法制について見てみたい。 コーポレートガバナンス・コードには「株主に対する受託者責任」という文言が6回登場する。しかし同コードはソフトローであるため法的拘束力は持たず、ベストプラクティスを紹介したものに過ぎない。他方ハードローにおいて、確かに民法・会社法の善管注意義務はFDの注意義務に近い概念であり、また会社法の忠実義務は1950年の商法改正で取締役の権限を拡大した際に米国から導入されたものだとされている。しかしながら日本は判例法の英米とは異なり、大陸法系の制定法の国であり、全く同じ運用をすることは難しいだろう。
とはいえ、注意義務についてはそもそも米国でも経営判断原則が適用されるため、基本的に日々の経営でFDをエンフォースしているのは裁判所ではなく取締役会である。この取締役会を実効的なものにしているのは単に取締役の意識の問題ではなく、第一に社外過半数の人員構成であり、それを土台として報酬制度、議決権行使、敵対的買収やアクティビストの脅威など、インセンティブやプレッシャーの仕組みが折り重なっている。これらは法体系の異なる日本においても同様に機能する余地が十分ある。
他方、忠実義務については状況が異なる。米国において契約に縛られないFDは会社に対してだけでなく株主に対しても直接負うものなので、有名なレブロン基準ように会社の外側で株主間に利害対立がある局面の解決手段も導くことができる。また、米国では支配株主が少数株主に対して忠実義務を負っているが、これもFDの柔軟性に由来する。これに対して、日本では取締役の忠実義務は法律上会社に対する義務と定められており、また支配株主の忠実義務も認められていない。 こうした法制度の違いはあるものの、日本は米国の忠実義務に関する議論に大きな影響を受けてきた。例えば、経済産業省が2019年に公表した「公正なM&Aの在り方に関する指針」は、経営者や支配株主の忠実義務を巡る米国の判例法理の内容をベストプラクティスとして紹介している。
日本の裁判所に米国ほどの法創造機能を期待しにくい現実に鑑みれば、こうした官庁主導でFDに関するソフトローが形成されるアプローチには意義がある。ただし、ソフトローであるがゆえに当事者の意識と、最終的には株主構成次第で結論に差が出てしまう脆弱性がある。これが持合い温存の動機にもなっている。市場の予見可能性を高めるためには立法や判例形成による解決の努力が必要だろう。
機関投資家サイドの文脈では、2014事務年度から金融庁が行政方針でFDの語を使い始め、「他者の信認を得て、一定の任務を遂行すべき者が負っている幅広いさまざまな役割・責任の総称」と説明されている。これは厳格な利益相反管理を求めるというよりも、「顧客の利益を尊重する」という抽象的な意味であり、資本市場の信頼を強化するためのいわばキャッチフレーズとしてFDが使われているとの指摘がある(6)。また、ソフトローであるスチュワードシップ・コードの中でも「受託者責任」という語が3回登場するが、これらは冒頭の「経緯及び背景」の中であり、コーポレートガバナンス・コード以上に抽象的な使われ方がなされている。
FDについて金融庁の問題意識は投信の回転売買や保険の不透明な手数料など、金融事業者の不誠実な行動に業界横断的に網をかけ、業者間の健全な競争を通じて解決を図ることにあったと見られる。このアプローチは有意義なものだが、米国の機関投資家が会社取締役以上に厳しい法的責任としてFDを負っているのに比べて、わが国でFDという言葉がやや異なる意味で使われている点は注意しておきたい。
FDはその成り立ちからして、先例や契約の形式的な解釈では保護されない利益を救済しようとする法理なので、開放的である。事実、歴史的にもFDを負う主体は変化・拡張し、その内容も時代に応じて変わってきた。
FDはこのように柔軟な概念でありながらも、最終的には法的実効性を担保されている点にその妙がある。FD違反に対しては損害賠償や行為の差止めなどが存在する。アベノミクス以降わが国のガバナンス改革で積極的に利用されてきたソフトローも、柔軟性という点では優れたものである。しかしその実効性を確保する段階においては、当事者の意識改革とともに、立法化や株主と取締役の裁判を通じた義務の確認も必要なように思われる。そのとき、法体系の異なる日本では裁判所だけでなく、官庁、取締役・株主、そして各種実務家の協働を通じて法的・実務的な規範を形成していく必要がある。
もう一つは、機関投資家と会社取締役はどちらもフィデューシャリーだが、義務の厳格さや判断基準は多面的だという点が重要である。機関投資家には資産受託者として厳格な利益相反管理が求められるため、わが国の機関投資家にはその信頼性確保のためにも、組織体制や情報開示についてより強い義務を課す余地があるだろう。一方、会社取締役は独立性の高い取締役会を介して利益相反を含んだ経営行動も柔軟に取ることができる。しかしながら、特に支配権異動の局面でも経営判断原則による保護を受けるには、一層取締役会の独立性を高める余地があるだろう。昨今の「同意なき買収」の増加はFDを巡る議論を一層盛んにし、やがて日本でも取締役会構成の変化を通じて取締役の善管注意義務や選解任の是非がより厳しく問われるようになっていくだろう。
槙野尚Nao Makino
Kaname Capital, L.P. Head of Research
2012年東京大学法学部卒業後、モルガン・スタンレーMUFG証券、14年からみさき投資を経て、22年米コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。同年から現職。「創業家持分が多い企業のガバナンス」(みずほ証券資本市場アップデート2023年3月号)、「次なる『形式』としての社外過半数」(金融・資本市場リサーチ第13号)などを執筆。