TOP RUNNER:企業経営の改革者に聞く vol.6 淡輪敏×佐貫葉子

TOP RUNNER:企業経営の改革者に聞く vol.6 淡輪敏×佐貫葉子

2021年5月13日

淡輪敏(三井化学株式会社 代表取締役会長)
佐貫葉子(NS綜合法律事務所 代表 弁護士)

[ 雑誌「コーポレートガバナンス」Vol.6 - 2021年4月号 掲載 ]

強くて良い会社を
目指す企業統治

企業経営の改革に取り組むトップランナーに、日本企業のあり方をうかがうインタビューシリーズ。今回、ゲストにお迎えしたのは財閥系の総合化学会社にして高いパフォーマンスを発揮している三井化学の淡輪敏会長です。企業統治の仕組みを活用し、大胆な事業構造改革を断行した淡輪さんは「強い会社でなければ生きていけない、だが、いい会社でなければ生きていく価値がない」と強調しています。

佐貫:2019年度 日本取締役協会、コーポレートガバナンス・オブ・ザ・イヤーに選ばれましたこと、おめでとうございます。選定理由に「総合化学という厳しい競争環境の下、事業構造改革で付加価値の高い分野へ挑戦するためにコーポレートガバナンスを効果的に使い、直近4年間でROEを10%も改善させた」とありました。17期(2014年3月期)には恐らく特別損失かと思いますがかなり大きな赤字となり、その後18期(2015年3月期)でV字回復されました。ここに至るまでの構造改革は、言うのは容易いですが、相当痛みが伴ったのではないかと思います。

淡輪: 私が社長に就任しましたのは2014年4月です。その前の3期は連続で赤字を計上していましたので、追い詰められた背水の陣で、まず最低限でも黒字化し、配当の復活をいかに達成するかを優先して取り組みました。

ご指摘のように、構造改革はもちろん、当時中国の新増設の影響を受けて、採算のとれない部門が3つほどありました。それを整理したり、一部の工場を閉めたり、コストカットなどありとあらゆることをやって、黒字化そして配当という最低限の責務を果たせるところまで持っていけるよう取り組みました。

淡輪氏と佐貫氏

事業構造改革を
社外取締役が後押し

佐貫:不採算事業の整理は、どのぐらい前からお考えになっておられたのですか。社内で反対はありませんでしたか。伝統のある企業ですと、先輩やOBが構造改革に抵抗する場合もあると聞きますが、そのあたりはいかがでしたか。

淡輪:社長に就任する前の2年間、全体の事業の総括責任者をやって、赤字部門に抜本的に手を加えないと回復は難しいと思いました。構造改革案を作った責任もあるので、社長になってから実行に移していきました。もちろんそういう事業に長く関わってきた人にとっては愛着もあるし、感情論はあるにしても、これはやむを得ない、手を付けていかないと回復はおぼつかないという危機感を共有できていたこともあります。

佐貫:そのような構造改革、不採算事業の撤退など、取締役会として賛成してくれましたか。社外取締役の方々は背中を押してくださったのですか。

淡輪:もちろん中身についていろいろな見方もあります。どこまでが適切な範囲なのか、もっとやらなければならないのか、少し控えるとか。それでも基本的な施策を実施することについての反対は特に出なかった。多少の意見の差はあるものの、基本的には後押ししていただきました。

佐貫:淡輪会長の座右の銘は「知識、見識、胆識」とうかがったのですが、この時期にお感じになられたのかなと思いました。

淡輪:以前から安岡正篤先生のお言葉は深いなと思っていまして、いくら知識、見識があってもそれを実行に移せないとまったく意味がない。胆識までいかないと、実際には何の役にも立たないことはひしひしと感じさせられました。ただ言うは易しで、それがいかに大変なことなのか、と感じました。

佐貫:その後19期(2016年3月期)になって、ROEが5・8%で、さらに20期(2017年3月期)になると15・6%と飛躍的に伸びています。ROEを指標として意識されたことはありますか。

淡輪:いろいろな数値目標は持っていますが、ROEに特化したわけではなかった。とにかく黒字にして、配当までこぎつける、財務体質をまずきちっとしないと打つ手が打てないという切迫感がありました。社長に就任して3年間はとにかくそれに向かって耐え抜いて、投資も抑制しながら自己資本比率をある一定レベルまで持っていく。むしろ言うならば、ROEなどの指標は、そういう努力の中で、結果付いてきたのが正直なところです。

佐貫:18期からはずっと黒字です。全体として赤字を少し黒字化することはできるかもしれませんが、それをさらに伸ばしていくのは、これは財務体質の強化だけではできない、新たな成長分野への事業展開があろうかと思うのですが。

淡輪:おっしゃるとおりで、外部アナリストを含めての評価では、やはりボラティリティが大きい。良いときは良くなるけれども、悪いときに落ち込んでしまうと、ずっと言われていました。確かに事業構造からそうなったわけですが、まず利益の絶対値より、そのボラティリティをいかに小さくしていくか。構造改革もそこが狙いとしてあり、さらに安定して利益を出せる状況にしていくには、我々が成長領域と呼んでいる高付加価値分野に経営資源をシフトしていく。それによって、ボラティリティの小さい事業構造に転換していくことを目指してやってきました。

佐貫:今、その3つの分野、モビリティ、ヘルスケア、フード & パッケージング、それからもう1つ基盤素材事業がありますが、やはり前者3つが現在の成長分野との位置付けですか。淡輪会長が社長時代にこの3つで行こうというふうに判断されたのですか。

淡輪:そうです。基盤素材事業の部分にまったく投資をしていかないとか力点を置かないことではないのですが、やはり成長投資になり、経営資源の中心、重点をその成長分野に置いておくのが基本スタンスです。

前々からそういう分野には力を入れていかなければいけないと思っていましたが、組織なり事業のくくりを明確にしたのは、私が社長に就任して最初の中期計画を作ったときからです。

佐貫:御社の事業は素人にはB to Cの事業と違って分かりにくいのですが、このセグメントと言うのでしょうか、こういうくくりを作っていただくと、社員の方も目的意識を持ちやすいように思います。

淡輪:そういう意味もあって、大きなくくりにしました。ただ、実際はモビリティといってもその中にICT分野も含まれておりますし、それを分け始めるときりがないので、少し大きく分かりやすく、かなり大雑把な整理にしました。これは一長一短で、理想的な組織なんてないと考えています。その時々で何を目指すかとか何に力点を置くか、それによって柔軟に決めるしかないと強く思っております。

佐貫:直近の有価証券報告書を拝見すると、さらに次世代の事業という言葉が出てきますが、これはすでに固まっておられるのですか。イメージとしてはどういうことをお考えになっておられますか。

淡輪:まだ模索している段階で、いろいろな可能性を追いかけていこうということでやっております。このあたりも時間がかかるので、少し粘り強くやっていかなければいけないかなという気はします。これは分野とか特定しておりませんで、それこそ我が社の技術領域のぎりぎり、得意なところから少しはみ出すような世界というイメージです。

例えば敗血症の細菌迅速同定用PCR試薬キットは、だんだん当社のバイオ技術が生きると分かってきました。ただ、それをどう製品化して臨床に適応させていくかは、今まで我々に経験がなかったところなので苦労したのですが、やっと最終段階に来ています。本キットには、医療現場において短時間で原因菌を特定できれば致死率が低くなるというニーズがありますので、これはぜひ当社がやるべき領域と思っています。

淡輪氏.jpg

後継者選びを
ブラックボックス化しない

佐貫:次にガバナンスについてお伺いいたしますと、人事諮問委員会をお作りになられています。まずはCEOのサクセッションプランは、どのようにお考えでいらっしゃいますか。

淡輪:当社の場合には指名委員会ではなく、諮問委員会というかたちで17年にスタートさせました。私自身もいろいろ考えて、今、例えば社外から経営者を招くとか、そういう場合に指名委員会は機能するのではないか、一方で社内をベースにという場合には、指名に関し少し長い時間軸とそういう経験をなさった方で構成しないとなかなか機能しにくいのではないかと思い、現段階では諮問というかたちにとどめました。

ただ、後継者をどう選び、どう指名していくかは、経営の最重要事項と言えるわけで説明責任を負います。そこを社長がブラックボックス化して、例えば会長になっても後継指名したことによって影響力を残すとか、いわゆる日本的な経営の弊害と言われる部分は、プロセスも含めて払拭していかなければならないと考えました。

佐貫:よく分かります。

淡輪:私自身は自分が社長に就任した時点で、複数の後継候補を絞って、いろいろな経験をさせながら自分の任期のイメージは当時5年と考えていたのですが、その中で選んでいこうと思いました。まだ人事諮問委員会を立ち上げていなかったのですが、なるべく早く立ち上げようと17年からスタートしました。

佐貫:候補者の方と委員の方々がディスカッションや面接のようなこともされるのですか。

淡輪:もちろん取締役会で説明したり、その他の接点もたくさんあるので、候補を委員会に説明します。委員の方々から「公式の場だけではなく様々な場の設定が必要ではないか」と話があり、何回かに分けて委員の方と懇親会の場を設けたりしました。委員の皆さんはとても積極的でした。

佐貫:そういうプロセスから、諮問委員会の方々が「この人が」という方と、会長が考えておられた方は大体一致するものですか。人事委員会や、指名委員会の方にお聞きすると、だいたい一致すると言われますが。

淡輪:意見を聞いておりますとやはり多少の差はあります。最終段階も含めて、委員の皆様の意見がほぼ絞り込まれていたので、そのなかからと思ったら、逆に委員の側から「待ってください。あなたの考えていることも分かっているし、私たちの評価も聞いていただいた。その上で決めるのはやはりトップの責任だ」とあって、「それでは最終的な私の案をご提示するかたちにします」ということで選びました。今回はそういうプロセスでしたが、次は同様なプロセスを取るかは新たな社長の考えもあってのことだと思います。

佐貫:女性を含む社外の方も入って、多面的に評価するのはとても有益だと思います。また別の論点ですがESG推進委員会をお作りになっておられます。有価証券報告書を拝見して、ESG、気候変動とか海洋プラスチックの問題など、御社にとってはある種のリスクだと思いますが、それをむしろ機会と捉え成長しようと記述されていて、とても共感するところです。「ESG推進委員会」ではどういうことを議論しておられますか。

淡輪:ご指摘のようなリスク部分や、そして当社が前向きに取り組まなければいけないテーマです。大事なことはESGというファジーな概念で、外部に対してどう説明し、三井化学は何に取り組んで、実際の成果として求めているのか、それを明確にするのが大事だと思っております。

その一つのツールとしてBlue ValueとRose Valueという2つの指標を当社の独自指標としています。Blue Value製品は環境貢献事業、Rose Value製品というのはクオリティ・オブ・ライフに貢献できる事業で、その認定については、第三者も含めて評価基準を作りました。それにより、売上高基準で早期に全体の30%の売り上げを占めるようなところまで持っていく目標を掲げました。今、それを拡大させていくことで取り組んでいます。その様な貢献価値のある事業構成をなるべく大きくしていこうということです。

佐貫:今回の新型コロナウイルスの感染が拡大する状況下で、御社の不織布で、マスクと医療用のガウンが製造され、すごく貢献されてきているのを拝見しました。これは当面続くのですか。あまり利益にはつながらないかもしれませんが、大きな社会貢献でいらっしゃいますね。

淡輪:ご存じかどうか、マスクの国産比率は20%しかなかったものですから、大変な騒ぎになって、これを急に上げようとしても部材の供給から実際の加工のところまで急には整わないのです。これは国家の安全保障に近いものだと感じます。経産省とも供給体制をどこまで拡大し、目標をどこに掲げてやっていくかを継続的に議論し、国民の安全に貢献できればと考えています。

お恥ずかしい話なのですが、マスクにノーズクランプという形状記憶樹脂が使われているのですが、それを当社がメインで供給しているのは、私も知らなかったのです。それで、昨年4月、5月のマスク供給不足の際には、当社はマスク主要部材の不織布をその他製品と調整し最優先で供給しました。ただ、今度は不織布はあってもノーズクランプが無いとマスク生産が出来ないと言うことになり、ノーズクランプの供給体制を安定すべく、増産体制を確立しました。起こってみないと分からない部分もあることを思い知らされました。

佐貫:環境軸、社会軸、経済軸、このバランスを御社の場合はよく取っておられると思います。意識をされておられることが良くわかります。

淡輪:そうですね。その3軸経営を割と早く打ち出しておりましたので、ESGにつなげるのはそんなに難しくなかったのです。

佐貫氏

監督役に専念し、
執行側とは適切な距離を置く

佐貫:ところで、昨年の6月ですか、社長を退任され会長に就任されました。現在の取締役会では会長が議長を務めておられます。ガバナンス上は執行のトップではなく会長あるいは社外取締役が議長をすべきだというご意見が最近は多いと思いますが、実際にはなかなかそこまで至らなくて、社長が議長という会社は依然多いと思われます。議長を会長がなさるのは、議論の上そうしたのですか。

淡輪:私が社長を6年間やって、その期間会長が不在でした。私が社長として議長と執行の責任者両方をやる、それはそれであるのですが、そこは切り離すべきという思いを強く思っておりました。社長を引いた後は取締会議長に力点を置いて、執行側と少し距離をおいたかたちで、チェック機能、経営監督を果たしたほうがよいのだろうとは思っておりました。

佐貫:その場合は、議題の選定は会長がなさるわけですね。社長として取締役会を取り仕切っておられたときと、また少し視点が異なるものですか。

淡輪:正直言いますと、社長としてやっているときはどうしても執行側の意識が強くて、「この案件はどうしても今日、多少議論があって問題にされても通してしまいたい」とか、そのような意識が働いてしまうのですね。だから、あまり健全ではなかったと自分で反省はしております。全体スケジュールとか、ここでこうしておかないといろいろな支障が出る等、見え過ぎるので、議長役がものすごく薄くなっていたなとは正直思います。

それこそ、社外に限ったことではないのですが、いろいろな疑問点が出て、執行側に答えてもらう中で、解決出来ない部分があります。そういうときはあえて、差し戻しや再説明を求めるスタンスで、今はやっております。疑問点を積み残して仮に決裁をしてしまう、そういうことはなるべく少なくしようという意識は高まりました。

佐貫:このコロナ禍の中でも事業構造改革をさらにやっていかなければならないと思うのですが、その場合、ガバナンス経営、資本コスト経営を通じた事業構造改革は、どのように進めるべきと感じますか。

淡輪:効率的な投資など、先ほど申し上げたように、ボラティリティをいかに下げていくかという観点からしても、ROICを意識した投資判断、経営がこれからは求められると思うのです。そこをもう少し徹底してやらないといけないと思います。私があまり口を出すとややこしいので、コーポレートガバナンスを上手に使って、執行側に考えてもらうようにしております。

佐貫:先ほどもありましたが、環境経営とかESG投資に注力し過ぎると、利益が下がってくるのではないかという本音ベースの指摘もあります。そのあたりはどうお感じですか。

淡輪:そこが一番我々も悩むところで、社員も腹落ちしない部分なのです。それで、私はどう伝えたらよいかを自分なりに考え、いわゆる業績管理、収益含めて、係数的なもので表されるものは安定して出せるようにしていく。もう一方、ESG絡みで数字に表せないもの、これが今重要視されている。これで表されるのは、いわゆるいい会社です。いうならば、私が伝えたのは、強い会社でなければ生きていけない、だけどいい会社でなければ生きていく価値がない、ということです。

淡輪氏

同質性打破へ
積極的な中途採用

佐貫:ポストコロナを考えると、日本企業では従来の強みであった同質性が弱みになっています。雇用において、一斉に同期入社して、そのまま終身雇用で、結果としてある人は社長になり、ある人は役員になりというような構図ですと、これからの時代には、競争に勝てないのではないでしょうか。女性や外国人、中途採用、そういう人をミックスして、イノベーションの中でトップが選ばれ、いろんなことをやっていかないと世界と戦うのは難しい時代です。御社のような名門会社は、中途採用はしないように思えます。今後はどう思われますか。

淡輪:すでにその考え方は変えておりまして、今年はいろいろな事情で全体数を抑制しておりますが、それまでは、中途採用と定期採用が半々でした。

佐貫:取締役会に外から取締役を入れる必要性もそうかもしれませんが、執行部隊が同質というのが弱みになっているのではないかという指摘もずいぶんあります。そうした中で三井化学は進んでいますね。

淡輪:いや、そうせざるを得ないというところが正直なところで、例えば成長領域とか新しい分野であれば、それは当社に知見がない、それでは知見のある人に来ていただかないと勝負にならない。年齢層ももう責任者クラスから下まで、中間採用の層が多様化しています。そういう意味でも、必然のダイバーシティがかたちになってきている気がします。

佐貫:今、盛んに議論されているジョブ型雇用は、報酬についても、職務がちゃんと決まっていて、それに見合ったかたちでないと難しいといわれるのですが、そのあたりはどういう評価基準ですか。

淡輪:当社は職務給、職務グレード制を取っておりますのである幅では調整できますし、どういう層の方、どれくらいのグレードに該当するかで決められます。もちろん合わない場合も出てきますので、そういう場合には特殊な扱いをするようにしております。

佐貫:本日は多方面にわたりお聞かせいただきました。

お忙しいところ大変ありがとうございました。

淡輪敏氏

淡輪敏 三井化学株式会社 代表取締役会長
1976年4月 三井東圧化学(現 三井化学)入社、2010年 常務執行役員 基礎化学品事業本部長、2012年 取締役常務執行役員を経て、2014年 代表取締役社長執行役員、2020年4月より現職。社長就任時より、汎用的な化学品から自動車向けなどの高機能材料に経営資源を集中する、同社の構造改革を牽引。

佐貫葉子氏

佐貫葉子 NS綜合法律事務所 代表 弁護士
1981年、第二東京弁護士会登録(33期)。メディパルホールディングス社外監査役(現職)のほか、明治乳業社外監査役、明治ホールディングス社外取締役、りそなホールディングス社外取締役(監査委員会委員長)を歴任。2019年からは、読売新聞「人生案内」の回答者としても広く知られる。日本女性法律家協会会長(現職)など要職多数。著書に「民事手続法辞典」「銀行実務双書」「月刊監査役巻頭言」「妻達の法律」など。