2026年9月10日
廣田 康人(アシックス 代表取締役会長CEO)
片倉 正美(EY新日本有限責任監査法人 シニア・エグゼクティブ・アドバイザー)
企業経営の改革に取り組むトップランナーに、日本企業のあり方をうかがうインタビューシリーズ。今回のゲストは、日本取締役協会「コーポレートガバナンス·オブ·ザ·イヤー2025」でグランプリを受賞したアシックスの廣田会長兼CEO(最高経営責任者)です。スポーツブランドとしてグローバルで成長を実現しながら、ガバナンス改革に取り組む企業として知られています。「ガバナンスは企業価値を高め、健全な成長のためにある」と語る廣田会長は、インタビューの中で「株主や社外取締役、社員、顧客との対話を恐れず、厳しい意見を受け止めることが重要です」と強調しています。
片倉 まず、コーポレートガバナンス·オブ·ザ·イヤー2025のグランプリ受賞、おめでとうございます。受賞のご感想、また社内外の反応をお聞かせください。
廣田 ありがとうございます。この賞は、私をはじめ経営幹部だけでなく、実務を担ってきた社員も含めて、本当に欲しくて仕方がなかった賞でした。ガバナンスで評価されるというのは、なかなか難しいところがあります。数字だけで測れるものではなく、定性的な要素も多い。しかし、我々が積み重ねてきた経営の方針や体制が外部から評価されたことは、大きな自信になりました。もちろん、まだまだ改善し、進化していく必要はあります。ただ、我々が進んできた道は間違っていなかったのだと確認できたことが、非常にうれしかったですね。
また、社外取締役の皆さんは、自分たちが参画してきた取締役会、ガバナンス体制が評価されたということで、ことのほか喜んでくださいました。加えて、政策保有株式の売却や財団設立時の投資家との対話などについて、社外からの問い合わせも増えました。注目度が高まったことを実感しています。
片倉 仕組みだけではなく、稼ぐ力と結びついた経営が評価されたのだと思います。2018年に社長に就任され、その年は最終赤字、2020年にはコロナ禍もあり営業赤字となりました。その後、5年連続増収増益、時価総額も現在約3.5兆円と大きく伸ばされました。厳しい状況からの経営改革について、どのような覚悟で臨まれたのでしょうか。
廣田 2021年以降の成果は、2018年から始めた改革の「仕込み」が花開いたものだと思います。2018年から2020年までは、なかなか成果には表れませんでしたが、その間にも経営改革を進めていたことが、結果として正しかったということだと思います。
当時、社内には利益に対するこだわりが十分ではありませんでした。どうしても競合とのシェア争いにばかり意識がいき、シェアを取るために値下げをする。売上は上がるけれども、利益はロスされる。そこで私は、「皆さんの給料は売上から出るのではない。利益から出るのだ」ということから話し始めました。
また、本社と販売会社の間にも課題がありました。販売会社は「一生懸命売っているのに、商品が良くない」と言い、本社は「こんなに良いものを作っているのに、売れないのは売り方が悪い」と言う。責任の押し付け合いになっていたのです。そこでカテゴリー制を導入し、カテゴリーの責任者が、商品の企画、生産だけでなく、最後の収益責任まで持つ仕組みに変えました。経営サイクルをきちんと回し、どこで利益が出ているのか、どこでロスしているのかを見えるようにし、責任の所在を明確にしたことが大きかったと思います。
片倉 カテゴリー制の導入は、社内にとってかなり大きな変化だったと思います。反発もあったのではないでしょうか。
廣田 ありました。カテゴリー責任者の負荷は非常に高くなりました。今までは商品を作っていればよかった人が、最後の収益責任まで持つことになる。販売会社にとっても、一定の権限が本社に戻る形になりましたので、従来のやり方ができなくなり、辞めていった人もいました。それでも、「これで行く」という経営の覚悟をもっていました。アシックスの商品は良いという自信があったからです。正しい仕組みで回せば、必ずお客様に受け入れていただける。そう信じていました。
片倉 経営改革では、「やらないこと」を決めることも重要だったと伺っています。
廣田 よく「選択と集中」と言いますが、私は逆だと思っています。「集中と選択」です。まず勝てる領域を見定め、その領域で勝つんだということを決める。アシックスで言えば、ランニングシューズで世界一になる。その上で、勝てない領域、収益が見込めない領域から撤退するということです。私は外部からきており、過去のしがらみを知らないから、やりやすかった側面があったのかもしれません。
もちろん、撤退には責任があります。例えば学校ビジネスのように、急にやめると困る方がいる事業もあります。その場合は代替先を探し、3年間かけて丁寧に移行しました。企業は公器ですから、社会的責任を果たした上で撤退しなければなりません。こうした判断についても、取締役会では社外取締役の方々としっかり議論しました。収益性を高める必要性は共有しつつ、社会的責任をどう果たすかについて多くの示唆をいただきました。
片倉 その後の象徴的な出来事として、2021年の箱根駅伝があります。アシックス着用選手がゼロとなり、2022年に「負けっぱなしで終われるか」という全面広告を出されました。あの時はどのようなお気持ちでしたか。
廣田 ゼロの衝撃は大きかったですね。かつて箱根駅伝では一定のシェアを持っていましたから、それがゼロになるというのは、社内外に大きなインパクトがありました。株価も落ちましたし、新年に出社した時の雰囲気は非常に悪かったのを覚えています。
ただ、実はC-PROJECT(「C」は頂上(Chojo)の頭文字。トップアスリート向けランニングプロダクト開発プロジェクト)は2019年から始めていました。ナイキの厚底シューズが出てきたのが2017年で、我々は成功体験があったために対応が遅れた面がありました。そこで社長直轄のプロジェクトとして、世界一速く走れるシューズを作る取り組みを始めたのです。
私が言ったことは主に2つです。「世界一速く走れるシューズを作れ」、そして「金に糸目をつけるな」。あとは現場に任せました。若いメンバーたちは、自分たちにはできるんだという秘めたる想いがあり、そのためのアイデアを持っていました。また、研究、開発、デザイン、製造、マーケティング、知財を一緒に動かし、組織の壁を取り払ったことで、スピード感を持って進めることができました。
片倉 アスリートとの対話も大きかったのですね。
廣田 「アスリートの声を聞け」と徹底しました。ナイキ旋風の中で、アシックスから離れていった契約選手もいました。しかし、残ってくれた選手たちがいた。その方々の声を徹底して聞き、その人たちに本当に履いてもらえるシューズを作ろうと考えました。その結果として生まれたのがMETASPEEDシリーズです。
この経験からも、経営の役割は、現場に細かく指示することではなく、正しい方向性を示し、現場の力を引き出すことだと思います。組織や社員の力をしっかりと発揮できる仕組みと方向づけが必要なのです。勝ち癖がつくと、組織は正の循環に入り、結果を出し続けることができますしね。
片倉 今日のお話を伺っていると、「対話」がアシックスの改革のキーワードになっているように感じます。社員、アスリート、投資家、社外取締役との対話など、非常に重視されていらっしゃいますね。
廣田 経営者は、放っておくと"井の中の蛙"になります。自分たちのやっていることは正しいと思い込みやすい。だからこそ、外からどう見えているのかを確認しなければなりません。
2019年にボストンでIR活動を行った時、投資家からぼろくそに言われました。「昔のアシックスの輝きはどうした」「アメリカでアシックスを履いている人をあまり見ない」と。時差もあり、その夜は悔しくて眠れませんでした。しかし、その悔しさが、頂上奪還作戦としてのC-PROJECTにつながった面もあります。投資家との対話は緊張感がありますが、その緊張感こそが経営を前に進める力になるのだと思います。
片倉 資本市場との対話という意味では、買収防衛策の廃止、政策保有株式の全売却も大きな決断でした。
廣田 買収防衛策については、2023年に廃止しました。その3年前、投資家の皆さんに「3年間の猶予をください」とお願いしました。当時から買収防衛策に対しては否定的な見方が多かったのですが、3年で時価総額を上げる、その間に体制を整える旨を説明し、買収防衛策の延長について承認いただきました。その際に、監査等委員会設置会社へ移行し、社外取締役を過半数にするなど、コーポレートガバナンス体制を先行して変えました。その後、時価総額も伸ばすことができ、約束どおり買収防衛策を廃止することができました。
また、「安定株主」という言葉がありますが、株主は安定してはいけないと思っています。株主は自分たちの意思を持って株式を保有しているのであり、経営に問いを投げかける存在であるべきです。問われることによって、我々も緊張感を持つ。そのような考えの下、政策保有株式の全売却と同時に株式の売り出しも実行しました。
政策保有株式の全売却により獲得したキャッシュを成長投資·株主還元に充当することで更なる資本効率の向上を目指すとともに、株式の売り出しを通じて、アシックスブランドや中長期的な成長戦略をご支援いただけるグローバル優良機関投資家や個人投資家に株主になっていただきました。どのような方に株主になっていただきたいのかは、会社がプロアクティブに考えるべきことだと思います。またアシックスはグローバルで戦う会社だからこそ、世界標準のガバナンス構造を持たねばならない、と考えています。
片倉 個人投資家との関係づくりは、頻度も内容もユニークで、力を入れておられることを感じます。
廣田 アシックスはBtoCの会社ですから、アシックスの商品を愛してくださる方にも株主になっていただき、会社を支えていただけるとうれしい。2025年からは個人投資家向け説明会も全国で行っていますが、私や社長だけでなく、常務執行役員にも参加してもらっています。IR活動をIR部門任せにはせず、役員自身が株主と向き合い、質問を受け、説明する。その経験は大きいですね。
参加いただいた方にも、商品を試していただいたり、足型や歩行を測定したり、アスリートに話してもらったりすることで、アシックスという会社をより深く知っていただく。株主総会でも、個人株主の方から「アシックスの株主であることを誇らしく思う」といった声をいただくことがあります。これは本当にありがたいことです。また、2027年以降は株主総会を東京と神戸の交互開催とする方針としており、更に多くの株主との直接対話の機会を設けていく予定です。
片倉 2025年12月期の有価証券報告書を株主総会の3週間前に開示されました。先行事例として注目されていますが、ご苦労もたくさんあったのではないでしょうか。
廣田 私は「やろう」と言っただけですが、実務は大変だったと思います。1年ほど前から社内と会計監査人を含めたタスクフォースを作り、人的資本や環境など開示項目が増えている中で、早め早めに準備を進めました。経営会議でもしっかり議論し、執行側全員でやるのだという意思統一をしました。
早く出せば株主総会で質問が増えるのではないかという声もありますが、むしろ株主に判断材料をきちんと提供することが重要です。総会議案に賛成するかどうかを判断していただくためにも、情報を前倒しで開示する意義は大きいと思います。
片倉 取締役会改革についても伺います。2020年に監査等委員会設置会社へ移行し、独立社外取締役が過半数となりました。経営立て直しの中で社外取締役が過半を占めることへの不安はありませんでしたか。
廣田 敵対関係になるわけではありません。日頃から同じ船に乗って議論している仲間ですから、社外が増えたから心配が増えるということではありませんでした。むしろ、取締役会の緊張感は格段に高まりました。
私は社長時代、取締役会が1カ月で1番嫌な日でした。それだけ真剣勝負だったということです。ただ、その緊張感は健全なものです。会社を良くし、収益性を高め、企業価値を上げていくための緊張感です。
社外取締役はブレーキを踏むだけの存在ではありません。経営者が正しい方向に舵を切ろうとしている時に、背中を押してくださる存在でもあります。同時に、私や社長が独り善がりになっていないかを見ていただく牽制機能も重要です。
片倉 社外取締役が会社を理解するための工夫があればお聞かせください。
廣田 できるだけ早く資料を提示し、今後どのような論点が出てくるかを事前に伝えるようにしています。ブリーフィングも丁寧に行います。また、展示会やマラソン大会、世界陸上、オリンピックなど、アシックスの活動を見ていただく機会も設けています。次のシーズンの商品やグローバルでの活動を直接見ていただくことは大切です。
ただし、社外取締役がすべてを把握する必要はないとも思っています。すべてを把握すれば、それは社内と同じになってしまう。社外性とは、一定の距離を保ちながら、株主の代表として大局的に見ることに意味があります。重要なのは、執行が適切なプロセスを踏んでいるか、十分な検討をしているかを確認していただくことです。
片倉 取締役会で出た意見は、執行側にどう伝え、経営に生かしていらっしゃるのでしょうか。
廣田 我々は必ず取締役会のレビューを行っています。取締役会でいただいた意見のうち、課題として残るもの、大きな論点だと認識したものについては、次の経営会議で共有し、どう対応するかを議論します。そして、その対応を次の取締役会で報告する。取締役会と執行の間でもサイクルを回すことが重要です。
片倉 ASICS Foundation設立時には、議決権行使助言会社が反対を推奨するなど、難しい局面もありました。
廣田 財団設立については、取締役会でもしっかりと議論しました。自己株式を使うスキームだったため、希薄化や財団が与党株主になるのではないかといった懸念がありました。そこで、持株比率は1%未満にする、議決権は行使しない、同時に自己株の消却も行うなど株式市場への影響を最大限軽減する策を、丁寧に説明しました。
反対する機関投資家には、私自身が出て行って話をしました。結果として賛成に回っていただいた方もいます。もちろん反対という判断も、株主の判断ですから尊重します。ただ、反対するなら、その理由と責任を持って反対していただきたい。会社だけではなく、投資家も緊張感を持って判断する。これもまた、健全な対話だと思います。財団設立議案では、反対した機関投資家名を公表しました。これもフェアなのだと考えています。何よりもこれらを通じて、真剣なアシックスの企業姿勢を理解いただいたことは大きかった。
結果として財団は設立されましたが、作って終わりではありません。株主に承認していただいた以上、活動内容をきちんと報告し続ける責任があります。2026年3月には株主総会後に財団の活動報告会を行うなど、説明を継続しています。
片倉 ガバナンスの一丁目一番地は、トップの選解任だと思います。御社の指名·報酬委員会はどのように機能しているのでしょうか。
廣田 社外取締役のコミットメントが大きいです。独立社外取締役を指名·報酬委員会の委員長として選任しており、委員長のリーダーシップのもと、次のトップにふさわしい人材をどう見極めるか、プロセスを丁寧に回しています。現社長COOの富永を選ぶ時も、2年前から候補者を示し、さまざまな場面で社外取締役に見ていただきました。直接面談も行いました。候補者となった本人には、自分が候補となっていることを伝えています。知らないところで評価されるよりも、そのほうがフェアだと思います。
片倉 本人に伝えるかどうかは、多くの会社が悩むところですので参考になりますね。
廣田 選ばれるかどうかを約束するわけではありません。ただ、候補であることを知らせた上で、見られ、議論される。そのほうが透明性を確保できます。今も将来のCEOや、その次の経営体制について議論を続けています。サクセッションは一度決めて終わりではなく、継続的に回していくことが肝要です。
片倉 高度経営人材の育成という観点では、ASICS Academyにも力を入れておられます。
廣田 企業の成長限界はいろいろな要因がありますが、最も怖いのは人的資源の枯渇です。アシックスはステージが変わり続けています。時価総額も上がり、グローバルで戦う会社としての責任も大きくなっています。その次のステージを担える人材をプールしておく必要があります。
ASICS Academyでは、経営幹部候補を明確にしています。これはスポーツ会社らしいところかもしれません。代表選手が発表されるように、選ばれる人もいれば、選ばれない人もいる。ただし、入れ替えはあります。選ばれなかった人も、何が足りないのか、どうすれば選ばれるのかを上長がきちんと説明する必要があります。評価の透明性は極めて重要です。評価軸を明確にし、成果と成長課題をきちんと伝える。これもガバナンスの一部だと思います。
片倉 最後に、資本コストと社員への還元について伺います。資本コストを超える価値創造を、社員にもわかる形で示されている点が印象的です。
廣田 ROEは経営者として意識していますが、社員にとっては少しわかりにくい。ROAであれば、在庫をどうコントロールするか、資産をいかに効率的に使うかという形で分解しやすい。同じように、資本コストも難しい概念ですが、「資本コストを超えた部分が付加価値である」と示すことが大切です。
付加価値を生み出したら、その一部を社員に還元する。税後利益で資本コストを超えた部分の10%を、通常の賞与とは別に追加で分配する仕組みを作りました。全世界の社員に一律で配ります。地域ごとの物価差を考慮する案もありましたが、プラスで支給するものですから、わかりやすさを優先しました。
経営者は資本コストを下げる努力をする。社員は利益を上げる努力をする。その両方が重なれば、企業価値が上がり、社員にも還元される。こうした仕組みを通じて、資本市場の論理と社員の日々の仕事をつなげたいのです。
片倉 本日のお話を通じて、ガバナンスとは形ではなく、経営そのものを強くする仕組みだということがよくわかりました。
廣田 ガバナンスは、形だけ整えても意味がありません。企業価値を高め、健全に成長するためにあります。そのためには、対話を恐れないことです。株主とも、社外取締役とも、社員とも、アスリートとも、本気で向き合う。厳しい意見を受け止め、必要な変化を起こす。その積み重ねが、結果として企業を強くしていくのだと思います。まだまだですけれどね。
廣田康人
株式会社アシックス 代表取締役会長CEO
1980年三菱商事入社。広報·総務などコーポレート部
門を中心にキャリアを重ね、英国ロンドン勤務を経
て、2014年代表取締役常務執行役員、2017年関西
支社長などを歴任。2018年アシックス入社後、顧問
を経て同年代表取締役社長COO、2022年代表取締
役CEO兼COO。2024年より現職。アイシン社外取
締役。早稲田大学政治経済学部卒業。
片倉正美
EY新日本有限責任監査法人 シニア・エグゼクティブ·アドバイザー
1991年太田昭和監査法人(現EY新日本有限責任監査
法人)入社。IPO企業から米国上場企業を含むグロー
バル企業まで幅広い監査に従事。2005年経済産業省
商務情報政策局にて日本のIT政策の立案に携わり、政
府委員を歴任するなど幅広い経験を有する。2019年、
大手·中堅監査法人では初の女性として、EY新日本有
限責任監査法人理事長ならびにEY Japanマネージング
·パートナー(アシュアランス)に就任。2026年より現
職。明治大学経営学部卒業。
撮影:小泉賢一郎