米国流の資本主義が地殻変動を起こしている。長らく米企業の行動規範となってきた「株主第一主義」の経営に、見直しの動きが出ているのである。米経済団体ビジネス・ラウンドテーブルは2019年8月に、米国の経済界は株主だけでなく、従業員や地域社会などすべてのステークホルダー(利害関係者)に経済的利益をもたらす責任がある、とする声明を発表した。声明には、会長を務めるJPモルガンのジェイミー・ダイモン最高経営責任者(CEO)を含め、180を超える主要企業のトップが署名をしている。
米国に限らず、株主第一主義はこの50年間、アングロサクソン型の資本主義のいわば支柱の役割を果たしており、多くの経営陣は、経営戦略や投資方針などを決める際に株主還元という視点を非常に重視してきた。これが大きく転換するのであれば、米国などに範を求め株主重視の経営に取り組んでいた日本企業にとっても、看過できないことだ。
米企業が株主第一主義の見直しを表明した背景には、深刻な格差の解消に向けた企業の責任拡大を求める声が、米国内で高まっていることがある。ダイモンCEOは、「米国では貧富の差が拡大しており、すべての利害関係者を重視することがより健全な経済につながる」との見方を示している。また、「アメリカン・ドリームは揺らぎつつある」として、「大手の雇用主は従業員や地域社会に投資している。長期的な成功にはそれが唯一の方法だと知っているからだ」と指摘した。
米トランプ政権は、こうした格差拡大の背景を中国などの不当な貿易慣行に求めた。輸入品の急増が製造業の低迷と中間層の没落を招いているとの主張だ。これが、貿易政策で米国の利益を最優先する「米国第一主義」の底流にある考えだ。
一方、野党民主党は、格差拡大の原因を米企業の経営姿勢に求める。積極的な自社株買いなどを通じて株価押し上げに注力する経営は、一部の富裕者層と経営者の資産を膨れ上がらせる。他方、企業収益が拡大する程には労働者の賃金は上昇しないため、格差は広がる一方だ。民主党は企業に対して、社会の分断を生むこうした格差の縮小に向けて、責任ある対応を求めているのである。
米企業はポピュリズム(大衆迎合主義)の広がりを警戒しているが、トランプ政権の米国第一主義は外向けのポピュリズム、民主党の主張は内向けのポピュリズムといえるだろう。米企業が恐れるのは、自らが攻撃対象となる後者のポピュリズムだ。そして米企業は、2020年の大統領選挙で民主党が躍進することを警戒している。取り分け、反企業的色彩が強い左派のエリザベス・ウォーレン上院議員が大統領に就任することを強く警戒する。
実際、米企業の株主第一主義の見直しも、ポピュリズムの台頭、民主党の躍進を抑えるための戦略であり、企業はその経営方針を大きく変える意思はない、との指摘もある。確かに、従来批判されてきた「経営陣の給与が異常に高い」、「企業の納税額が十分でない」といった問題への対応が、声明文では触れられていない。
しかし、株主第一主義の見直しは見掛け倒しで実効性はない、と考えるのは正しくないだろう。実際、主要企業による正式な声明は、今後、労働者が賃上げを求めるなど、ステークホルダーが自らの利益に配慮するように企業に働きかける際に、それを後押しすることは間違いない。
さらに、企業が自ら株主第一主義の見直しを打ち出した背景は他にもある。今回の声明に加わった米運用大手ブラックロックのラリー・フィンクCEOは、1980年代から2000年前後に生まれたミレニアル世代の6割が、会社の主な目的を利益追求よりも社会貢献と考えている、と指摘する。米経済界が優秀な人材を獲得し、また投資マネーを取り込む際には、こうした世代の考え方に十分に配慮する必要が出てきたのである。
ところで、米国等を模範にしてコーポレートガバナンス改革を進め、株主重視の経営姿勢を強化してきた日本企業にとっては、米国で始まった株主第一主義の見直しは、まさに梯子を外された感がある。しかし、これによって日本のコーポレートガバナンス改革が大きく軌道修正されることは考えにくい。米国では、株主重視の姿勢が行き過ぎ、社会全体の利害との間に軋轢が生じたことがきっかけで見直しが始まったのである。つまり、振れ過ぎた振り子の揺れ戻しだ。これに対し日本では、株主重視の経営への転換は未だ道半ばである。
さらに、政治主導で進められてきた日本のコーポレートガバナンス改革が目指すのは、株主重視の姿勢強化で個別企業の経営効率を高め、それを経済全体の効率化向上へと繋げることである。日本経済の生産性上昇率、潜在成長率が依然低迷を続けていることを踏まえると、この点からもコーポレートガバナンス改革の必要性は依然として高い。
一方米国に限らず、民間企業に社会責任を果たし、積極的に社会貢献をすることを求める声、またそれこそが企業の持続的成長にとって必要なことだとする議論は、世界的に広がりを見せている。その代表的な指針となるのが環境、社会、ガバナンス(ESG)や持続可能な成長目標(SDGs)だろう。目先の株主利益のみを追求するのではなく、より長い視点から社会的責任を重視する経営は、幅広いステークホルダーに利益をもたらす。他方で、株主重視の経営姿勢を通じて企業価値を高めることは、株主にとどまらず社会全体に大きな利益をもたらすことも広く理解され始めている。
従って現在では、株主重視の経営か、それとも幅広いステークホルダー重視、社会責任重視の経営か、といった二者択一なのではなく、双方の利益に同時に配慮した、いわば二兎を求める経営を模索することが求められている。
この点に照らせば、過度な株主重視の姿勢を見直し始めた米企業と、株主重視の姿勢をより強化する方向にある日本企業とが、全く異なる方向に動き始めたと考えるのは正しくないのだろう。
木内登英Takahide Kiuchi
株式会社野村総合研究所 エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所入社後、ドイツ・フランクフルト、米国・ニューヨークに勤務。2007年に野村證券経済調査部長兼チーフエコノミスト。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任。2017年7月より現職。