ガバナンス改革の狙いは企業価値の持続的成長にある。その底流にある考え方は、企業と資本市場に規律を与え、資本市場が正常な形で機能するようにする事である。とはいえ、事はそう簡単ではない。
これまでも「企業価値」とは何かをめぐって二項対立の議論が巻き起こってきた。「株主価値」なのか、それとも「ステークホルダー価値」なのか。日本のガバナンス改革を「株主優先主義」と評する向きもあるが、2つのコードも「伊藤レポート」も、いずれの企業価値も大事にしているし、そう明示している。株主だけを重視し、他のステークホルダーを軽視して企業の持続可能性が保証されるわけなどないからだ。ただ、これまで日本企業は資本市場と真に向き合うことなく、投資家や株主のニーズをある種の敵対的意識のもとに軽視してきたことが、目を覆うばかりの「不都合な真実」を招いたとの真摯な反省の上に諸改革を進めているのである。
伊藤レポートでは日本企業の資本生産性の低さを直視し、少なくとも自己資本利益率(ROE)8%を目指すことを提唱した。もちろんROEを強調することは、ある種の潜在的「毒」をはらむ。ROEは毎年(あるいは四半期ごとに)定期的に開示されるため短期主義に陥る可能性がないとはいえない。また会計数値を用いることから、会計的な利益調整(ときに不正会計)を誘発する恐れも秘めている。
一方、環境・社会・ガバナンス(ESG)の強調も潜在的な「毒」をはらむ。ESGへの注力が資本生産性の低さの隠れ蓑や正当化の口実に使われてしまう恐れもある。また株主を始めとするステークホルダーから提供されている資源の使途(「配分」)をめぐる意思決定において緊張感の欠如ないし希薄化を招く可能性もある。
そもそも資本効率の高い企業に資源は配分されるべきである。しかし、ステークホルダーや社会からの信頼がなければ、一時的に資本効率が高くても、結局は企業は長期的に成長できない。経営者や企業の誠実性や倫理観が重要なのである。その意味で良質なROEと良質なESGは両立されるべきものであり、その意味で「統合」が必要なのである。それが筆者が提唱する概念並びに指標である「ROESG」だ(筆者は2020年4月に「ROESG」の商標権を正式に取得した)。
企業環境や社会環境、さらには地球環境が大きく変化するなかで、企業の業績指標を提供してきた企業会計はいかに問題に向き合うべきか。いま21世紀に企業を統合的に評価するものさしの開発を迫られている。企業価値の主要な決定因子が20世紀の会計が得意としてきた財務情報から非財務情報・ESG情報に移行しているなか、企業の持続可能性と地球の持続可能性が鋭く問われ、それに適合する指標を開発することが期待されている。それに該当するのが「ROESG」なのである。それは従来の「会計」指標を超えている。
行き過ぎた資本主義への修正、あるいは「良き資本主義」の実現に向けて、会計は何ができるのかが問われている。そうした発想と使命感なくしては、会計はニューヨーク大学のレブ教授が言うように「終焉」を迎えてしまう。大きなパラダイム変化が起こっている時に、それに主体的に適合できなければ、会計はその存在意義を喪失してしまうだろう。
これは会計の「拡大主義」を迫るものではない。会計は何のためにあるのか。まさに企業が「パーパス」を問われているように、21世紀における会計もその「パーパス」を鋭く問われているのである。パーパスに忠実に変革することができれば、会計は「終焉」ではなく「再生」を図ることができるだろう。
会計の再生のために、筆者はROESGに加えて、ボトムライン革命を提唱したい。会計のボトムラインは設計の仕方で、ステークホルダーに様々な帰結をもたらすことはよく知られている。では、良き資本主義が求められている時代にふさわしいボトムラインとはどのように設計されるべきだろうか。
この問いに対するアプローチは、財務指標と非財務指標のインテグレーションを行うものである。それを実現するものとして筆者は「拡大業績報告書」(Enlarged Performance Report:EPR)を提唱したい。そのエッセンスは以下の通り。 EPRでは以下の4種類のボトムラインが表示される。一番目は従来の損益計算書(包利益計算書ではない)で示される「会計的利益」である。二番目は会計上の当期純利益から「資本コスト」を控除した「経済的利益」が表示される。これはスターン・スチュワート社の「EVA」のようなものを想定すればよいだろう。これがEPRの上半分を構成する。
下半分の最初のボトムラインはESGスコアである。これは「社会的利益」を表したものである。ESGについては様々な評価機関が存在しているので、どれを持ってくるかという問題はあるが、ここではその問題は割愛する。そしてEPRの文字どおり最後の4番目のボトムラインがROESGである。これこそが「持続可能性利益」を表す。
上記の第1と第2の利益に焦点を当てたのが「伊藤レポート」であり、第3と第4の利益を論じたのが「伊藤レポート2.0」である。そしてEPRを対話(統合報告書)のプロセスに反映させたものが「価値協創ガイダンス」なのである。
現代の企業には様々なステークホルダーが存在する。ただ1つのボトムラインでそうしたステークホルダーの情報ニーズを満たすことは不可能である。EPRによって各ステークホルダーは自らのニーズに応じてボトムラインを参照することができ、最終的に当該企業の持続可能性を評価することができる。
伊藤邦雄Kunio Ito
一橋大学CFO教育研究センター長
一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院商学研究科長・商学部長、一橋大学副学長を歴任。商学博士(一橋大学)。中央大学大学院戦略経営研究科・特任教授を兼務。座長として「伊藤レポート」「伊藤レポート2.0」(経済産業省)をまとめた。経済産業省「コーポレート・ガバナンス・システム研究会」委員、内閣府「未来投資会議・構造改革徹底推進会合」委員、東京証券取引所「企業価値向上表彰制度」委員長、経済産業省「サステナブルな企業価値創造に向けた対話の実質化検討会」座長、同「SDGs経営・ESG投資研究会」座長、TCFD(気候変動関連財務情報開示タスクフォース)コンソーシアム会長などを務める。