日本企業におけるコーポレートガバナンス改革の必要性が叫ばれて久しい。企業価値の持続的な向上という観点から考えてみたい。
企業の存在理由は事業を通じて社会に貢献することにある。企業は人・モノ・カネを社会から預かり、それを有効に活用することで社会全体を豊かにする。社会全体とは企業を取り巻くすべてのステークホルダーのこと。顧客・消費者、株主、従業員、取引先、債権者、地域社会等々。企業の社会的責任とはこうしたすべてのステークホルダーを満足させることにある。そうした企業経営の本質を松下幸之助氏は「企業は社会の公器」と喝破した。CSRという言葉を借りるまでもなく、古くから日本には世界に通用する経営哲学が存在した。
しかし、日本でも80年代のバブル経済の頃から「企業は社会の公器」であるという企業経営の原点が見失われたように思う。株主価値の最大化を優先する、いわゆる「米国的経営」が脚光を浴びた。
株式会社というものを法律で一義的に解釈すれば、株式会社は株主のものである。この視点に立てば、企業は本質的には株主にとっての企業価値、すなわち株主価値(株価、配当)の向上に優先順位を置くべきだというのは「正論」である。
しかし、株主価値の最大化だけが経営の目的ではない。複数のステークホルダーを視野に入れた経営が肝要であり、一義的に優先されるステークホルダーが株主だとの考え方は企業の社会的な存在理由を矮小化している。大事なことは「何のために」株主価値を上げるのかという視点である。企業が生み出した経済価値を社会の幅広いステークホルダーに向けてどう還元していくかが大事だと思う。
2019年に米主要企業の経営者団体である「ビジネス・ラウンドテーブル」は、「株主第一主義」を見直し、顧客や従業員、取引先、地域社会、株主といった幅広いステークホルダーに配慮し、長期的な企業価値向上に取り組むと宣言した。「株主第一主義」の本家だった米国でもステークホルダー全体を視野に入れた「ステークホルダー資本主義」への揺り戻しが起きているようだ。
そうした時代の潮流の変化を踏まえて、改めてコーポレートガバナンスについて考えてみたい。
私は2001年からコニカミノルタ、オムロン、関西電力、阪急阪神ホールディングス(就任時は阪急電鉄)の4社の社外取締役のほか、その他数社の社外取締役を務めてきた。オムロンとコニカミノルタはグローバル展開している製造業ということでダイキンと共通する経営課題が多かった。指名委員会等設置会社のコニカミノルタでは、指名委員会の委員長を務めさせていただくなど、社外取締役の役割について考えさせられることも多かった。
4社の現行の機関設計は、コニカミノルタと関西電力が指名委員会等設置会社、阪急阪神ホールディングスが監査等委員会設置会社、オムロンが監査役会設置会社である。ちなみにダイキンも監査役会設置会社である。
各社各様の機関設計だが、社外取締役に求められている役割として共通しているのは、外部の視点に立った大所高所からのアドバイスという点にある。
大所高所からのアドバイスと言うと、抽象的に聞こえるかもしれないが、社外取締役に求められているのは、ある意味で傍目八目的な外部の視点・見解である。
組織であれ、個人であれ、内輪だけの閉鎖的な環境では、入ってくる情報の質が劣化、画一化し、戦略的な発想に欠ける怖れもある。グローバル競争に勝ち残っていくためには、経営層における人材の多様性、すなわち社外取締役の重要性が高まっていることは論を俟たない。 コーポレートガバナンスのあり方として大きく3点指摘したい。
いずれにせよ、企業経営というものは「日本的経営」と「米国的経営」のどちらが良いかといった二元論で語れるものではない。ガバナンスの要諦は何かという問題を突き詰めれば、経営者や従業員の高い志や倫理観に帰着する。経営者や従業員に自らを厳しく律する自己規律や意志が備わっていなければ、どのような「形」を整えたところで「仏作って魂入れず」に終わり、企業の持続的成長は難しいだろう。
むろん、企業経営のあり方にこれが正解だといった「最適解」はない。一人ひとりの経営者が自らの信じる道を従業員と一体となって進んでいくしかない。新しい「日本的経営」の形とは、そうした個々の企業のベスト・プラクティスの積み重ねの結果なのだと考えている。
井上礼之
ダイキン工業株式会社 取締役会長 兼 グローバルグループ代表 執行役員
1994年にダイキン工業代表取締役社長に就任。2002年より代表取締役会長兼CEO、2014年より現職。関西経済同友会代表幹事など要職多数。日本ベンチャーキャピタル、オムロン、コニカミノルタホールディングス、阪急阪神ホールディングス、関西電力、テレビ大阪、大阪国際会議場など著名企業の社外取締役としても活躍。