義務教育DXとガバナンス

2022年12月19日

船津康次(トランスコスモス株式会社 取締役相談役)

[ 雑誌「コーポレートガバナンス」Vol.10 - 2022年8月号 掲載 ]

教育問題との出会い

10数年前、経済同友会の「学校と企業経営者の交流活動」に参加し、いくつかの小中学校で出張授業をさせて頂いた。自分が生徒だった時以来、実に何十年ぶりに、小学校や中学校に出かけるなかでいろいろと感じることがあった。一つは、初等教育現場の先生方は、授業、校務、課外活動、保護者対応、管轄行政組織対応等々、実に多くの業務を抱えて大変だということ。先生の働き方改革、業務改革が必要だと感じた。 もう一つは、同じ義務教育なのに学校間格差が大きいことだった。例えば、英語教育やコンピュータ教育など新しいテーマへの取り組み姿勢に明らかな違いがあったことだ。憲法第26条に「すべて国民は、ひとしく教育を受ける権利を有する」とあるにもかかわらず、教育の基礎、土台である義務教育において、こういう格差が存在するのは、大変残念なことだと思った。たまたま10年前に新しく誕生した経済団体「新経済連盟」で教育改革プロジェクトのリーダーを引き受けたのは、そんな問題意識があったからだった。

新経済連盟の活動

新経済連盟は、日本の未来にとって改革すべき様々な課題に対して、提言を書くだけではなく、常に具体的な結果を求めて活動するというのが特徴だ。その活動は、グローバル、イノベーション、アントレプレナーシップの三つのコンセプトをベースにしている。特に、あらゆる分野でのIT推進によって、日本の未来を切り開こうということを念頭においている。私が教育改革チームを引き受けた2015年は、2020年の学習指導要領改訂時期を控え、その新しい学習指導要領に、日本が苦手なグローバルとイノベーションのエッセンスを盛り込むことを目標とした。何せ学習指導要領は、この変化の速い時代においても10年に一度の改定ということなので、このチャンスを逃すわけにはいかない。文科省主催の会議などで、教育現場でのIT活用、学校校務のDX推進、小学校からの英語教育、コンピューティング教育の導入などを何度も粘り強く提言した。その結果、多少は功を奏し、2020年の新学習指導要領には不完全ながら、小学校における外国語教育とプログラミング教育について記述されることになった。また、教育DXとして、GIGAスクール構想が登場することとなった。

GIGAスクール構想とコロナ

2019年の秋、文科省は「GIGAスクール構想」を打ち出した。GIGAは、Global & Innovative Gateway for Allの頭文字である。生徒みんなに、グローバルな革新的な道を歩めるような教育環境を用意する、という4年がかりの大胆な教育改革の構想だった。そのなかの1つの柱は、小中学校の生徒1人に1台の情報端末を提供するというデジタル化計画であった。小中学校の生徒数は約950万人、教える先生の数は約70万人、小中学校を管轄する地方自治体数(市町村)は約1750と、実に大掛かりなDXになる。4年かけても全国の小中学生全員にタブレット端末を提供するなんてとうてい無理という経済人も多かった。そうしたなか、2020年初、突然パンデミックが世界中を襲い、人々は移動することが困難になってしまった。子供たちも学校へ行くことができなくなってしまった。多くの先進国や、お隣の中国の子供たちは、タブレット端末でオンライン自宅学習をしていますというニュースが流れた。一方、日本の多くの小中学校では、オンライン教育に手も足も出なかった。こうしたことを背景に、4年がかりで進める予定のGIGA構想のスピードを速めて、教育環境のデジタル化を1年以内に整備するという流れになった。

GIGAスクールの成否は「先生の働き方改革」

2020年新経済連盟の教育改革チームは、GIGAスクールの早期実現のためのサポートを目標とした。幸い、会員メンバーには若手のIT企業が多く、GIGAスクールサポーターとしてお手伝いが可能だった。そして文科省、総務省の懸命の努力で、2021年にはそれまで実現することのなかった、生徒1人1台の端末という環境が何と1年で実現することになった。そして2022年からは、いよいよ本格的な活用、オペレーションのフェイズに入ろうとしている。とはいっても、現在国として全国共通のオペレーション手順があるわけではないので、今後そういったものを構築していく必要がある。その他、デジタル教科書の整備、オンライン教育の制度化、新時代の教員免許の有り方、学校校務のデジタル化、学校と家庭のネットワーク、様々な旧規則の見直しなど取り組む課題は多くある。

生徒、保護者、先生、学校というステークホルダーが新しい時代の大きな変化を迎えている。その成否を握っているのは、日々、子供達と接する「先生」だと思う。しかし、冒頭述べたように、先生は授業以外のことに追われ疲労困憊気味だ。加えて、未だに手書きの書類作成に追われていたりする。学校のなかは、企業のようにメールシステムやワードやパワポなどの基礎的IT化が進んでいない。学校校務は業務の仕分けを行い、教員免許が無くても行えるような業務は、民間にアウトソースすれば良いと思う。クラブ活動など時間外の課外活動のアウトソースも可能だと聞く。言い換えれば、小中学校運営という公的事業に、もっと企業経営の感覚を取り入れ、民に任せることができることは、民に任せていけば良い。GIGAスクール構想が目指す新時代の教育を成功させるには、先生が「教育」に集中できる環境を作り、先生と言う職業が改めて魅力的なものになるよう、根本的に設計し直す必要がある。

義務教育制度とガバナンス

企業にとって最も重要なのは「人」であり、しっかりしたガバナンスの下でモチベーションやエンゲージメントが高く維持できなければ、その企業に未来はない。同じように、義務教育を推進する人=先生がモチベーション高く安心して教育を行えなければ、その国の未来はおぼつかない。「先生の働き方改革」というのは、義務教育という国の制度運営上の人的資産に関わる重要なガバナンス・テーマである。国が主体的に、校務のIT化、民間の活用等を視野に入れた「先生という公務員」の未来に向けた制度設計を行い実行するべきだと考える。

もう一つのガバナンス・テーマは、義務教育のクオリティコントロールだ。GIGAスクールの現状を見ても、既に、新しいIT環境を見事に使いこなす学校もあるが、ほぼ使えない学校や、使わない学校が存在する。教育クオリティの格差問題である。小中学校が各自治体(市町村)の管轄下にあり、国として統一されたオペレーション手順を徹底できないためである。その根本原因は、憲法92条に定める地方自治・地方分権の概念と、憲法26条が謳う義務教育の平等の概念が、拮抗してしまっているからだ。これは本当に難しい問題で、この両者のバランスをコントロールする卓越したガバナンス力が求められる。だが、難しいからといって、諦めるわけにはいかない。子供たちにとって、ますます変化する未来を豊かに生きていくための最大の武器は教育であり、義務教育はそのしっかりとした土台でなければならないと信じるからだ。

船津康次

船津康次Koji Funatsu
トランスコスモス株式会社 取締役相談役
北海道大学心理学学士、ダブリン大学経済学修士、(株)リクルートを経て、現職
KADOKAWA社外取締役、DeNA社外取締役、経団連幹事、経済同友会幹事、新経済連盟幹事、日本取締役協会幹事、日本コールセンター協会理事、日本中華総商会理事。趣味はバンド演奏(ドラム)

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