我が国におけるベンチャー投資額は年々拡大しているが国際的な水準にはほど遠い。図1は、世界各国のベンチャー投資額のGDP比率を比較したものであるが、日本は、フランスやドイツの半分以下の水準であり、米国より一桁後れを取っている。これは、国の稼ぐ力がベンチャー投資に十分あてがわれていない実態を物語るものであり、要するに、国レベルでの「両利きの経営」が全く行えていないことを意味している。
図1 (出所)経済産業省 総合科学技術・イノベーション会議
イノベーション・エコシステム専門調査会(第5回)R4.5.18 資料1 12頁
「なぜ日本ではスモールIPOばかり量産されるのか?」「なぜ日本からGAFAMが生まれないのか?」こんな声がよく聞こえてくる。事業を軌道に乗せたスタートアップが更なる非連続的成長を遂げるための資本戦略としてIPOまたはM&Aが用いられるが、いずれが主流かについて日米は対照的であり、日本はIPOが8割で、米国はM&Aが9割である。米国巨大企業はスタートアップを買収することで非連続的成長を実現している。
米国S&P500からGAFAMの5銘柄を除いた「S&P495」のパフォーマンスとTOPIXのパフォーマンスはほぼ同じである。米国経済におけるGAFAMの存在感の大きさを表している。しかし、GAFAMもスタンド・アロンな成長で今のGAFAMになったわけではない。Googleを例にとると、オリジナル事業は検索エンジン事業くらいであり、それ以外は買収したスタートアップの事業である。同社のビジネスモデルはプラットフォーム型ビジネスと呼ばれるが、組織戦略的にも自社の上にさまざまなスタートアップ事業を乗せていくプラットフォーマー的拡大を実現しているのである。
これに対して、日本の大企業はスタートアップを買収してもそれを自社の事業として取り込んでいくのが苦手である。スタートアップの買収に限らず、PMI(Post Merger Integration)の組織能力が備わっている日本の企業は数える程度だ。それがゆえに、日本の大企業はスタートアップの受皿となることができず、代わりに、IPOが出口戦略の主流となってしまっている。
本来、IPOとはInitial Public Offering、すなわち、更なる非連続的成長を実現するためのスタートライン的資金調達のはずである。しかし、図2が示すとおり、日本のスタートアップがIPOで調達する金額は高々数億円程度というのが実態で、シリーズAで調達されるニュー・マネー程度の水準である。「上場ゴール」という残念な言葉があるが、IPOは更なる成長に向けたスタートラインではなく、創業者にとってのゴールテープとして位置付けられてしまっている。
図2 (出所)経済産業省 総合科学技術・イノベーション会議
イノベーション・エコシステム専門調査会(第4回)R4.4.25 資料5 56頁
スタートアップが日本経済の牽引役となるために、ベンチャー・キャピタル(以下「VC」という。)が克服すべき課題も多い。図3はVCの国際比較であり、横軸は1件当たりの案件規模を、縦軸はファンドサイズをそれぞれ表している。特に注視すべきは横軸である。VCの戦闘力はいうまでもなくスタートアップに対する資金提供力によって決まってくる。日本のVC戦闘力はグローバルレベルからはまだまだ遠いと言わざるを得ない。そうなると、日本のスタートアップから、多額の投資を必要とするAI開発、創薬ベンチャー、GXソリューションといったディープテックは生まれにくい。投資額を抑えて開発可能なSaaS系サービスが量産され、スモールIPOを出口に据えた縮小均衡スパイラルが生み出されることになる。
図3 (出所)経済産業省 総合科学技術・イノベーション会議
イノベーション・エコシステム専門調査会(第4回)R4.4.25 資料5 3頁
そうすると、VC戦闘力の高い海外VC、特に、グローバルVCに入ってきてもらえばよい、ということになりそうだが、残念ながら日本のマーケットはグローバルVCからは見向きもされていない。日本のスタートアップの人材・事業・技術等が低い評価を受けているわけではない。そのような実体審査の以前に形式審査によって門前払いを受けているというのが現状である。スタートアップと投資家との間の権利関係は投資条件を規定する投資契約によって規律される。後に詳述するように、日本では、ガラパゴス化された投資条件が国内デファクト化しており、かつ、日本語というイングリッシュ・スピーカーにとって世界で一番難しい言語によって契約書が作成されている。既存の権利関係についてグローバルVCが正しいリスク評価を行うためのコストと負担が大きすぎて、その気も起きないというのが実態なのである。
2022年11月28日に新しい資本主義実現会議から公表された「スタートアップ育成5か年計画」(以下「5か年計画」という。)に呼応する形で当協会のスタートアップ委員会が立ち上がり、約3か月間の集中討議を経て本提言は産声を上げた。5か年計画では、ベンチャー投資を5年後に10兆円規模とすることやスタートアップを10万社創出することが謳われている。裾野の拡大には制度による後押しや国を挙げた政府の取組みが必要不可欠である。しかし、我が国のスタートアップをその質・量ともにおいて真の意味での日本経済の牽引役とするためには、日本のベンチャー・エコシステムが世界のトップエコシステムとシームレスに接続され、グローバルのトップ人材及びトップ・キャピタリストが日本国内で鎬を削り、また同時に、日本の起業家やキャピタリストが世界のトップ・マーケットでメガベンチャーやグローバル・ベンチャー・キャピタルを誕生させるといった「グローカル」な世界観を実現する必要があり、そのためには、単に起業家の裾野を拡大するだけでなく、ベンチャー・エコシステムにおける"レベル・プレイング・フィールド"を実現し、規模の拡大も目指すことが必要となる(図4)。
グローバル・マーケットでの勝負を目指す日本のスタートアップ、すなわち、「G型スタートアップ」が世界のトップエコシステムで勝負していくためのコーポレート・ガバナンスその他経営の在り方、そして投資家その他ステークホルダーによるG型スタートアップに対する関与の在り方をまとめたものが本提言書である。そのためには、図5のように、創業期は創業メンバーが事業を立ち上げ、シード期にはローカルVCがその形作りを支援し、そしてアーリー以降はFounders Fund、Accel Partners, Andreessen Horowitz, SequoiaといったグローバルVCに投資参加してもらい、彼らが持つ強大な資金力とグローバルなビジネスネットワークを借りてくることで、グローバル・モードへの切り替えを加速し、G型スタートアップの非連続的成長を実現する、このような世界観を描かなければならない。本提言書では、これを「グローカル成長投資モデル」と呼んでいる。これは北欧で成功しているモデルを本歌取りするものである。ローカル・マーケットの規模が大きくない北欧地域では、スタートアップ企業の多くが当初からグローバル・マーケットを目指し 、そのためのビジネスモデルの構築や組織設計を行う。また、資金提供サイドにおいても、国内投資家とグローバルVCとの明確な役割分担を前提とした協業的支援モデルが確立されているのである。
本提言は、図6のとおり、①G型スタートアップにおけるコーポレート・ガバナンスの在り方、②投資家その他ステークホルダーに求められる規律、③資金調達に係る取引条件その他取引実務に関する規律という3つの部から構成されている。以下、それぞれについて特に重要な点をピックアップして紹介する。詳細は提言書本文をご覧頂きたいが、音声解説も公開しているので合わせてご利用頂きたい。
提言書の「第1」では、その冒頭において、コーポレート・ガバナンスを実質的観点から理解することの必要性を総論的に説いた上で(提言1.1.1) 、①「事業体の選択及び機関設計」、②「株主構成」、③「取締役会」、④「役員及び従業員の役割」の4つの小項目に分けて各論を整理している。ここでは、紙幅の都合上、②③について触れる。
提言1.3.1は資本政策の重要性について説いている。資本政策の中でも特に株主構成及びその持分比率は、事後的な修正が困難な不可逆的性質を有するため慎重な検討が必要である。また、株主構成は、当該スタートアップ企業に対して新規投資を検討するグローバルVCその他投資家による投資の意思決定に大きな影響を与える。会社に対する貢献が限定的な者が多くの持分を保有しているような場合は、新規投資家の意思決定に対して否定的な影響を与えることをスタートアップの経営者は知っておかなければならない。
提言1.4.1以下では取締役会の役割について説いている。従来、スタートアップ企業において「コーポレート・ガバナンス」とは上場要件を充足するための形式的なものに過ぎなかった。しかし、本来、コーポレート・ガバナンスは、株主その他ステークホルダーによる経営者に対する規律付けを通じた経営の高度化のための仕組みであり、スタートアップ企業であるか成熟企業であるかを問わず、その必要性は普遍のものである。そして、いうまでもなくその重要な役割を担うのが取締役会である。提言書の中では、取締役会は、グローバル・マーケットにおける勝ちパターンを見据えたビジネスモデルの構築を推進するべきであること(提言1.4.2)、創業者が必ずしもBest CEOとは限らないことを認識し、外部招聘の可能性も含めたBest CEOの人材プールを常に準備しておくべきこと(提言1.4.3)、モニタリング・ボードかマネジメント・ボードかといった両者を截然と区別するアプローチで機能定義を行うのではなく、当該スタートアップ企業が置かれた状況や千変万化する経営課題に応じた柔軟性のある機能定義を臨機応変に行わなければならないこと(提言1.4.4)、いわゆる「3線モデル」(Three Lines Model)に準拠した内部統制システムを整備し、経営陣による適切なリスクテイクを後押しすることによる企業価値の創造を実現しなければならないこと(提言1.4.5)等について説いている。
提言書の「第2」では、投資家その他ステークホルダーを名宛人に、G型スタートアップに対する支援の在り方を提言している。第2の冒頭では、総論として、彼らの最も重要な役割が、前述の「グローカル成長投資モデル」を実現することにある旨明言している(提言2.1.1)。そのためには、後続の資金調達ラウンドにおいてグローバルVCを招聘することを念頭に置き、自身が参加する資金調達ラウンドにおいてもグローバル・スタンダードに準拠した条件で投資を実行しなければならないことや(提言2.2.2)、「フォローオン投資」の重要性についても指摘している(提言2.2.4)。
G型スタートアップの成長の時間軸とこれを支援するVCファンドの活動期間とが必ずしも整合していないという問題がある。VCファンドの活動期間が限定されており、期間内にキャピタルゲインを確定させるために、投資先に対して早期IPOを求めることになり、このことがスモールIPOの量産につながっている。G型スタートアップを支援するVCはG型スタートアップの成長の時間軸に応じた支援を提供しなければならない(提言2.2.5)。また、本稿の冒頭でも述べたとおり、スタートアップの更なる非連続的成長を実現するための資本戦略として必ずしもIPOが適切とは限らない。M&AによるBest Ownerの交代を伴うドラスティックなキャピタル・リストラクチュアリングが更なる成長に向けた有効な打ち手となることも少なくないため、VCに対する提言として、株式の上場を当該スタートアップ企業に対する投資の与件としてはならないことも指摘している(提言2.2.6)。
また、その他のステークホルダーとして、事業会社に対する提言も行っている。事業会社が資本業務提携の枠組みで投資先との間でなんらかの取引を行う場合、これを自社にとって著しく有利な条件で行うなど、当該投資先及び株主共同の利益を害するような条件でこれを行ってはならないことや(提言2.3.2)、事業会社が組成するコーポレート・ベンチャー・キャピタルをいわゆる二人組合形式で組成する場合の無限責任組合員の利益相反問題についても問題提起を行っている(提言2.3.3)
提言書の「第3」では、G型スタートアップとそれを支援する投資家その他ステークホルダーの両者を名宛人とし、資金調達に係る取引条件その他取引実務の在り方についての提言を行っている。まず、「グローカル成長投資モデル」を実現するため、投資契約については、本稿冒頭で紹介した問題意識を前提として、グローバルVCによるスムースな投資参加を促すことのできるよう、英文で作成され、かつ、グローバル・スタンダードに準拠した内容のものでなければならないとしている(提言3.1.1)。
特に、我が国特有の「ガラパゴス投資条件」の典型が、創業者に会社との連帯責任を負わせるような条項や、投資家から会社に対する株式買取請求を認めるような条項である。このようなものは投資契約に含めてはならない旨明言している(提言3.2.1)。
また、後続の資金調達に配慮した条件設計が必要であるとの観点から、配当優先権その他経済条件についてはあくまでフェアなものでなくてはならないとの視点や(提言3.2.2)、取締役指名権や拒否権(veto)のようなガバナンス条件については、投資対象の企業価値最大化という全体最適の観点からこれら権利が行使されなければならないという視点を強調している(提言3.2.3及び3.2.4)。
最後に、株式の取扱いについては、既存株主によるフォローオン投資を促す、いわゆるPay to Play条項の活用や(提言3.2.5)、株式の上場を所与とするような条項や株式の上場について期限を定めるような条項、また、株式の上場の不達成について投資家による株式買取請求権を生じさせるような条項を撤廃すべきことを提案している(提言3.2.6)。
本年7月12日、スタートアップ委員会から、上記の各視点を盛り込んだモデル英文投資契約を表した。今後はその普及にも努めていく。また、本提言書公表後も、日本のベンチャー・エコシステムの実態調査を継続し、提言内容の定期的なアップデートも予定している。
宮下和昌Kazumasa Miyashita
日本取締役協会 会長補佐、
IGPI 弁護士法人 代表弁護士
ソフトバンクグループの社内弁護士として持株会社及び戦略事業子会社の法務部門を兼務し、事業提携・M&A、戦略シナリオの策定、訴訟対応、新規事業開発、レギュラトリ、契約審査等の幅広い企業法務領域を経験。株式会社経営共創基盤(IGPI)参画後は、戦略コンサルタントとして、ベンチャー企業の業務改善から一部上場企業の海外進出まで幅広い分野において、事業・法務横断的なアドバイザリー・サービスを提供。現在、同社グループ・ローファームであるIGPI弁護士法人代表を務める。