社外取締役のトレーニングと買収行動指針

2024年3月11日

中西友昭(経済産業省 経済産業政策局 産業組織課長)

[ 雑誌「コーポレートガバナンス」Vol.14 - 2023年12月号 掲載 ]

1990年代以降の日本経済は「失われた30年」と呼ばれる状況が続いた。デフレマインドの蔓延や人口減少に起因する将来悲観を背景として企業の中長期的な期待成長率は低下し、平均賃金は一貫して横ばいに推移していたところ、経済産業省では2021年以降、「経済産業政策の新機軸」と題して、政府も一歩前に出て大規模・長期・計画的に取り組む政策展開を行っており、その柱の1つとして、企業に対して、自らのアニマルスピリッツに火をつけ、持続的に価値を創造する経営(価値創造経営)に取り組むことを促している。

そして、中長期視点で構築された経営戦略を実行する執行機能を規律づけるために、コーポレートガバナンスを強化することは、企業内部から価値創造経営を促進する上で重要な要素として位置づけられている。

他方、外在的な影響力に目を向けると、望ましい買収(企業価値の向上と株主利益の確保の双方に資する買収)を促進することは、優れた経営戦略を選択する機会の確保や外部からの規律の向上に資するものであり、ひいては各企業における価値創造経営に寄与するものと考えられる。

このような背景の下、経済産業省は、コーポレートガバナンスにおいて重要な役割を担う社外取締役の研修・トレーニングに関する取組みと、望ましい買収の活性化を目的とする「企業買収における行動指針」(以下、買収行動指針)の策定を行った。

社外取締役のトレーニング

近年、企業の社外取締役の人数は増加傾向にあるが、その質を指摘する声は少なくない。社外取締役は取締役会の執行に対する監督や助言において中核的な役割を担うことが期待されており、コーポレートガバナンス改革の実質化を目指す上で社外取締役の質の向上は欠かせない。かかる認識の下、経済産業省は本年6月に「社外取締役向け研修・トレーニングの活用の8つのポイント」(以下、8つのポイント)及び「社外取締役向けケーススタディ集」(以下、ケーススタディ集)を公表した。

8つのポイントは、企業と社外取締役の間で社外取締役として期待する役割を共有することの重要性や、社外取締役の評価の必要性、研修等の活用方法等、企業関係者や社外取締役が研修等を有効に活用するためのポイントを整理したものである。企業関係者と社外取締役が社外取締役向け研修等の活用についての理解を深め、その在り方を検討する契機となることを期待している。

ケーススタディ集は、社外取締役やその候補者向けの研修コンテンツの充実を図ることを目的に作成した。また、実際に取締役会や各種委員会で課題に直面し、社外取締役としての振る舞い方を検討する際に参照されることも想定している。

具体的には中期経営計画やガバナンス体制、指名・報酬等について、合計12の想定事例に関するケーススタディを掲載している。ケーススタディ集の内容はあくまで一例として提示しているものであり、実際には会社の状況や自身の役割に応じて考えるべきことは異なってくる。そのため、ケーススタディ集の内容を参考にしつつも、自身の役割も踏まえ、自身であればどう考え、どう行動するかについて考える機会としていただきたい。

企業買収における行動指針

本年8月に策定した買収行動指針は、上場会社の経営支配権を取得する買収を巡る当事者の行動の在り方を中心に、M&Aに関する公正なルール形成に向けて共有されるべき原則論及びベストプラクティスを提示することにより、望ましい買収の実行を促進することを目的としている。

指針の構成としては、第1章で指針の目的等、第2章で買収時に尊重されるべき三原則(企業価値・株主共同の利益の原則、株主意思の原則、透明性の原則)を明らかにしている。その上で、第3章で買収提案を巡る取締役・取締役会の行動規範、第4章で透明性向上の在り方、第5章で買収への対応方針・対抗措置(いわゆる買収防衛策)に関する基本的な考え方の提示を行っているが、これらはいずれも、M&A実務において指摘されている課題認識や近時の裁判例等も踏まえて望ましい方向性を提示するものである。

例えば、第3章では、対象会社が真摯な買収提案を受領した場合は真摯な検討を行う必要がある等、買収提案を受領してから、取締役会に付議・報告し、取締役会で検討する流れに沿って、局面に応じた取締役・取締役会の行動規範を提示している。これは、買収提案を受けた際の取締役・取締役会の行動規範について、法令、判例、実務において共通認識が形成されておらず、取締役・取締役会の行動が不適切なケースが見られるとの指摘を踏まえて策定されたものである。

また、第5章では、買収への対応方針・対抗措置について、経営陣による保身の道具とすべきではないことを明示するとともに、発動時に株主の合理的意思に依拠することの重要性を強調しているが、これらは近時の裁判例の動向も踏まえた上で、望ましい考え方や在り方を提示したものである。

買収行動指針はあくまでもソフトローとしてベストプラクティスを提示するものであるが、対象会社・買収者の取締役、株主等を含む諸関係者によって尊重され、我が国の経済社会における行動規範となることを通じて、望ましい買収の活性化の契機となることを期待している。

人口減少による国内市場の縮小、カーボンニュートラル社会への移行、地政学的な変動等、日本企業が立ち向かうべき課題は大きい。そのような中で、世界に競争力ある価値を提供し、持続的な成長と中長期的な企業価値向上へとつなげるためには、コーポレートガバナンス改革を含め、官民が協力して必要な変革を実行していくことが求められている。

中西友昭Tomoaki Nakanishi
経済産業省 経済産業政策局 産業組織課長
2000年通商産業省(現 経済産業省)入省後、大臣官房、経済産業政策局、製造産業局、資源エネルギー庁等のポストを歴任した他、内閣官房に出向して成長戦略の取りまとめを担当。ジェトロ・サンフランシスコ事務所次長を経て、令和5年7月に産業組織課長に就任。

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