2021年10月10日
熊谷五郎(みずほ証券株式会社グローバル戦略部産官学連携室上級研究員、公益社団法人日本証券アナリスト協会企業会計部長、京都大学経営管理大学院座客員教授)
これから2回にわたり、資本コストを意 識した経営とはどういうものか考えていき たい。 本稿では、資本コストの本質を理解 するために、お金の時間価値、割引率、資 本コストの推定、WACCについて順を追っ て解説していく。
筆者は会計基準や財務報告制度、サステナビリティ報告に関する調査研究を行うかたわら、大学院で企業金融に関する理論、実務を教えている。企業金融理論で、中核をなす概念に「資本コスト」がある。資本コストを正しく理解すると、設備投資やM&A、資金調達、配当や自社株買いなどの株主還元政策について、より合理的な経営判断を行うことができる。
以下2回に分けて、資本コストと、それを意識した経営とはどういうことか考えていきたい。
資本コストとは、一般には、加重平均資本コストを指す。では何の加重平均かというと、負債のコストと株式(株主資本)のコストの加重平均である。加重平均資本コストに相当する英語が、"Weighted Average Cost of Capital"であり、略してWACCという。つまり、WACCと資本コストとは同じものを意味している。 さて、本誌の読者の皆様は、投資案件や大きな資金調達を実行するか否かについて、日常的に判断を求められていることと思う。実務的にはそれぞれの会社によって、その判断基準はまちまちであろうが、企業金融理論では、その判断基準は明確かつシンプルである。投資についていえば、投資案件によって生み出される毎期の「将来キャッシュフロー」について、「割引現在価値」を計算し、それが投資金額を上回れば、その投資案件は実行すべきである、というものである。
これを「NPVルール」(1)というが、このルールにおいて、投資案件や資金調達によって生じる将来キャッシュフローを割引く際に用いられるのが、WACCである。
では、将来キャッシュフローを割引くとはどういうことだろうか。その意味を理解するために、まず「お金の時間価値」について考えてみよう。
これをお金の「時間価値」という。お金に時間価値があることが、「金利」が発生する根源的な理由となる。我々が銀行に預金して何某かの利息がつくと期待したり、借金をした時に利息を払わなくてはならないことを当り前のように思っているのは、まさにお金に時間価値があることを無意識に受け入れているからである。
●式1
115.7625/(1+5%)³=110.25/(1+5%)²
=105/(1+5%)¹=100
逆に3年後の115.7625万円、2年後の110.25万円、1年後の105万円を年率5%で割引くと、式1となる。つまり年率5%の収益を期待できる時、3年後の115.7625万円、2年後の110.25万円、1年後の105万円を、現在の価値に引き直して考えると、100万円ということである。
このように将来入手できると期待されるキャッシュフローを現在価値に引き直すことを、「割引現在価値を計算する」という。また「割引現在価値」のことを、単に「現在価値」ともいう。この時、将来キャッシュフローを現在価値に変換する利率のことを割引率という。割引率は年率で表示され、先の例では割引率は5%である。以上から、割引率と期待収益率とは、同じものを表裏から見ていることが分かるだろう。
割引率、複利計算、割引現在価値は、金融や投資における基本中の基本であり、これらを理解することが、資本コストの「正体」を理解する上での鍵となる。
一口に将来キャッシュフローと言っても、その実現可能性はまちまちである。例えば国債はそれが自国通貨建てである限りは、返済に支障が生じる可能性はゼロと考えてよい。政府の徴税権・通貨発行権によって、元本・利息の支払いが保証されるからである(2)。このため国債の金利は、「無リスク金利」と呼ばれるが、先に見たお金の時間価値は、無リスク金利によって示されると考えられる(3)。
また社債も、発行時に約束された金利に基づき利息が払われ、満期には元本が返済される。しかし、国債と異なり、社債の場合は財務状況が悪化し、利息や元本の支払いに支障が生じる恐れは皆無ではない。このように社債を保有するリスクは、国債より大きい。
皆様の会社が社債を発行している場合に、同じ満期を持つ国債に比べて、その利回りは高いはずである。社債利回りと無リスク金利の差には、国債に比べてその社債を保有することのリスクが反映されている。その主なものには、その会社が倒産したり、倒産確率が増すことによって社債価格が下落するリスク(クレジットリスク)、国債に比べて売買量が少ないことから生じる売り難さを反映したリスク(流動性リスク)などがある。
同じ満期であれば、社債と国債の時間価値は等しい。それにも関わらず、利回り格差が生じるのは、投資家がこうした社債保有に伴うリスクに対して補償を求めるからである。社債利回りの、無リスク金利超過部分をリスクプレミアムと呼ぶが、リスクプレミアムは、将来キャッシュフローの不確実性を反映している。そして社債利回りは、その時点において、投資家がその社債を保有することで期待する収益率、社債の期待収益率を示している。
●式2
無リスク金利<社債利回り<株式の期待収益率
●式3
国債のリスクプレミアム=0
<社債のリスクプレミアム<株式のリスクプレミアム
●式4
負債コスト:Rd=Rf+(Rd-Rf)
株主資本コスト:Re=Rf+(Re-Rf)
株式の将来キャッシュフローは、社債以上に不確実性が高い。社債利息は元本のX%という形で固定されているが、株式配当は増配・減配の可能性がある。
また社債元本は満期が来れば償還される。それに対して、株式には満期がない。株式への投下元本は、売却によって回収されるが、売却時の株価が購入時より上であれ下であれ、同じことはまずありえない。
さらに株価の変動率は、社債価格の変動率に比べてはるかに大きい。これは、株式持分に対する請求権が、社債や銀行からの借入金等の負債に劣後しているという事実に根差している。企業が清算される場合に、株主にいくらの請求権が残るかは、全ての負債が返済されるまで確定できない。
このように、株式を保有することを通じて得られる将来キャッシュフローは、同じ会社の発行する社債に比べて不確実性が高い。社債の期待収益率=社債利回りが、社債市場で付けられた価格から簡単に計算、確定できるのに対して、株式の期待収益率を推定するのはやや難しい。
しかし、これまでの説明から、差しあたっては、式2の大小関係が成り立つことを、ご理解頂ければ十分である。
将来キャッシュフローを割引いて、割引現在価値を計算するにあたって、適切な割引率とは何だろうか。それは、その将来キャッシュフローの不確実さを反映した割引率となる。
例えば1年物の割引国債があって、その利回りが0・5%であるとしよう。一方1年物の割引社債の利回りが1・5%であれば、その割引社債に100万円投資すると、1年後の期待キャッシュフローは101.5万円となる。これを無リスク金利である0・5%で割引くと100万9950円となり、実際の投資金額100万円に対して過大評価となる。逆に当該社債の発行会社の株式に対する期待収益率が5%である場合、5%で101.5万円を割引くと、99万6667円となり、今度は過小評価となる。
このように、将来キャッシュフローを割引くにあたっては、その不確実性を正しく反映した割引率を使う必要がある。
これまでの説明から、割引率の構成要素としては、①お金の時間価値の反映である無リスク金利 ②将来キャッシュフローの不確実性を反映したリスクプレミアムの二つがあることをご理解いただけたろうか。
そして、将来キャッシュフローの不確実性に応じて式3の関係が成り立っている。
さて、「資本コスト(Cost of Capital)」とは、「調達した資本に対して投資家が期待する収益率」と定義される。資本コストの正式名称を、「資本の機会費用(Opportunity Cost of Capital)」という。投資家は、その会社の社債や株式に投資することで、数ある他の投資機会を断念していることになる。そこで、企業経営者は投資家に対して、他の投資機会ではなく自社に対して資本を提供してくれていることに報いる責任が生じる。 現在の社債権者や株主が、社債や株式に投資しているのは、同程度のリスクがある他の投資機会と比較して、現時点において、その会社の発行する社債利回りや株式の期待収益率が、十分魅力的であると感じているからである。従って、企業経営者にとって、投資家に対して報いるべき最低限の収益率は、社債保有者についてはその時点における社債利回り、株主についてはその時点における株式の期待収益率ということになる。
この「投資家に対して報いるべき最低限の収益率」こそが、経営者から見た「資本コスト」であり、負債コストは社債の期待収益率(社債利回り)、株主資本コストは、株式の期待収益率ということになる。
ここで、国債の利回り(無リスク金利)をRf、社債利回り(社債の期待収益率)をRd、株式の期待収益率をReとすれば、式4のように書ける。(Rd-Rf)は社債のリスクプレミアム、(Re-Rf)は株式のリスクプレミアムである。
負債コストであれ、株主資本コストであれ、本質的には無リスク金利にそれぞれのリスクプレミアムを上乗せしたもの、という構造をしていることには、全く変わりがないことにご注意頂きたい。
ここまでの説明で、資本コストとは何か、概念的にはご理解頂けたのではないかと思う。しかし、経営の現場では、具体的に負債コストや株主資本コストが何%か分からなければ、使い物にならない。
先の説明で、社債の期待収益率=社債利回りが、社債市場で付けられた価格から簡単に計算、確定できると書いたが、現実には、どんな企業でも一本の社債残高が負債総額ということはあり得ない。様々な満期、金利の負債が混在しているはずである。そのように複雑な構成の負債コストをどう推定するのか。
幸運なことに、これは全く難しいことはなく、直近年度の財務諸表を用いて、支払利息総額を期中平均有利子負債残高(前期末と今期末の平均残高)で割ればよい。支払利息総額を45億円、期中平均有利子負債残高が2000億円であれば、Rd=45/2000=2.25%が、この会社の負債コストになる。ここで、無リスク金利=国債利回りが0.1%であるなら、この会社の負債のリスクプレミアムは2.15%である。このように、負債コストは、現実の財務数値を使って推定できるために、直感的に理解しやすい。
●式5
Re =Rf+β(Rm-Rf)
●式6
●式7
WACC=(1-30%)×(2000/6000)×2.25%+(4000/6000)×8.2%=6.21%
それに対して株主資本コストは、財務数値からは推定できないので、捉えどころがなくピントこないという方も多いのではないだろうか。実際、投資家の期待する株式の収益率といっても、投資家一人ひとり毎に期待収益率は違うはずである。自社の株式に対して、投資家が全体として期待する、期待収益率をどうやって推定したらよいのか、多くの経営者が当惑するのも無理はない。しかし心配はご無用である。
まずは、御社の株主構成をイメージして頂きたい。国内外の機関投資家、取引先金融機関、個人株主と様々な株主がいるはずである。この株主全体をあたかも一人の株主と考えてみて欲しい。この株主の保有する株式は御社の株式だけだろうか? おそらく非常に多数の銘柄を保有しているはずである。
このように十分に分散された株式ポートフォリオにおいては、個々の会社株式に固有のリスクは、分散投資効果によって無視し得るほど小さくなる。理論的な詳細は省略するが、十分に分散された株式ポートフォリオを保有する投資家の、個々の株式に対する期待収益率Reは、式5で与えられる。
この式を、資本資産評価モデル(Capital Asset Princing Model)、略してCAPM(キャップ・エム)と呼ぶ。
この式で、Rfはお馴染みの無リスク金利、β(ベータ)は当該株式株価の、(株式)市場ポートフォリオの変動に対する感応度、Rmは市場ポートフォリオの期待収益率を表す。
市場ポートフォリオとは、株式市場に上場する全銘柄からなるポートフォリオのことで、日本株については、実務上東証1部株価指数であるTOPIXを用いることが一般的である。したがって、個別株式のβとは、その株価のTOPIXに対する感応度のことになる。
さて勘の良い読者であれば、CAPMの式を見て、β(Rm-Rf)が個別株式のリスクプレミアム、(Rm-Rf)が市場ポートフォリオのリスクプレミアムを示していることに気が付かれたかもしれない。まさにその通りなのである。
(Rm-Rf)は、単に「株式リスクプレミアム」とも呼ばれる。日本株についてはTOPIXを用いた実証研究の結果3~6%と推定されている。また標準的な企業金融の教科書である、"Principles of Corporate Finance"(Brealey, Myers and Allen著)は、米国株の株式リスクプレミアムを5~8%としている。
βについては、実務上、直近60ヵ月のデータを用いて推定することが一般的である(4)。β=1であればTOPIXと同程度の株価変動があり、β∧1であればTOPIXより株価が安定的、β∨1であれば株価変動が激しいということを意味している。つまりβが大きければ大きいほど、相対的に株価変動が大きく、したがってリスクが大きいことである。
また株式の期待収益率を求めるにあたって、実務上Rfには10年国債利回りを用いる。
このようにCAPMを用いた株主資本コストの推定に必要なインプットである、Rf, β, Rm-Rfは、全て資本市場において観察可能か、推定済みということになる。
今、Rf=0.1%,β=1.8, Rm-Rf=4.5%であるとしよう。この時、株主資本コストReは、Re=0.1%+1.8×4.5%=8.2%となる。また株主資本コストのリスクプレミアムは8・1%である。
このように、CAPMを用いれば、資本市場で観察されるインプットを用いて、株主資本コスト、つまり株式の期待収益率を合理的に推定することが可能である。
ここまで来ると、WACCまでもう一息である。ここでDを有利子負債総額、Eを株式時価総額としよう。また実効法人税率をtとすると、WACCは式6で与えられる。ここで、D=2000億円、E=4000億円、t=30%とし、Rd=2.25%,Re=8.2%とするなら、式7のように、WACCは6.21%となる。
理論的には、WACCの計算に用いるDもEも、時価ベースの数値を用いるべきである。先に見たように、資本コストとは、負債であれ株式であれ、その会社に投資していることで、投資家が断念している機会費用のことだからである。その会社の負債を現金化した金額に負債の期待収益率をかけたもの、株式を現金化した金額に株式の期待収益率をかけたものが、金額ベースの機会費用となる。
したがってDにせよ、Eにせよ時価ベースの数字を用いることが適切である。先に行った負債コストの推定に、財務数値(簿価)を使うのは、負債時価と負債簿価の乖離が小さいために許される実務上の便法でしかない。
また負債コストに(1-t)をかけるのは、支払利息を損金として税引前利益から控除できることによる節税効果があるからである。株主資本コストの推定にあたっても、明示的には出てこないものの、その源泉となる配当は税引後当期純利益から支払われる。つまり、企業経営者から見ればWACCは税引後の期待収益率ということになる。
本稿冒頭で紹介したNPVルールを用いて、投資案件を評価するにあたっては、将来キャッシュフローも、また税引後のキャッシュフローを用いて、割引率のWACCと整合性を取ることが重要である。
もちろん、ここに示した資本コストの推定を、経営者が自身が行う必要はなく、部下に任せておけばよい。しかし、本稿で説明してきた資本コストの本質をご理解頂ければ、投資家との対話において、彼らと同じ土俵に立って会話ができるはずである。そして資本コストの本質を理解することは、経営者の説明責任を果たす上で極めて重要なのである。
次回は、本稿で行った解説をベースに、資本コストを意識した経営について考えていきたい。
NOTE
熊谷五郎Goro Kumagai
みずほ証券株式会社グローバル戦略部産官学連携室上級研究員、公益社団法人日本証券アナリスト協会企業会計部長、京都大学経営管理大学院座客員教授。
国内外の会計基準設定、財務報告・サステナビリティ報告制度に幅広く関与する一方、京都大学経営管理大学院にて、留学生向け講座 "Corporate Finance and Capital Markets"を担当。IFRS Interpretations Committee 委員、企業会計基準委員会委員(非常勤)、企業会計審議会会計部会臨時委員、金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループ委員等を兼任。1982年慶應義塾大学経済学部卒、1987年 New York University, Stern School of Business卒