資本コストと企業価値(2)

2022年2月10日

熊谷五郎(みずほ証券株式会社グローバル戦略部産官学連携室上級研究員、公益社団法人日本証券アナリスト協会企業会計部長、京都大学経営管理大学院座客員教授)

[ 雑誌「コーポレートガバナンス」Vol.8 - 2021年12月号 掲載 ]

分かりやすい資本コスト

前回はお金の時間価値、割引率、WACCについて解説した。本稿では、代表的資本生産性の指標であるROA、ROE、ROIC、またそれらの指標と資本コスト、企業価値の関係について解説する。そうした解説を通じて、資本コストを意識した経営のエッセンスについて考察する。


はじめに

前回は、資本コスト、加重平均資本コスト(WACC)とは何かについて解説した。本稿では、資本コストを意識した経営について、深掘りして解説していく。

近年、読者の皆様も投資家との建設的対話を意識される機会が多いのではないかと思うが、投資家との対話における最大のテーマは「企業経営者として、企業価値をどう増やしていくのか」という問いであろう。そのような対話で、鍵となるのが「資本生産性」である。

資本生産性の向上とは、単位当たりの投下資本に対して、利益または、キャッシュフローの増大を意味する。企業価値は、企業が創出する将来キャッシュフローの割引現在価値である。従って、資本生産性の向上により、将来キャッシュフローが増大すれば、企業価値が増大することになる。

企業価値が向上しても、負債の返済総額は変わらないので、企業価値の限界的変化額は基本的に株主に帰属することになる。しかし、資本生産性の向上によるキャッシュフローの増加は、負債返済にあたっての安全性を高めるために、株主のみならず債権者にとっても望ましい。

以下本稿では、代表的な資本生産性指標と資本コストを意識して、企業価値拡大を目指す経営について考えていきたい。

資本生産性の指標

資本生産性を表す代表的指標としては、総資産利益率(Return on Asset, 以下ROA)、株主資本利益率(Return On Equity、以下ROE)、投下資本利益率(Return on Invested Capital、以下ROIC)がある。

●式8
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●式9
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●式10
ROE=売上高当期純利益率×総資産回転率×(レバレッジ比率+1)

ROAの分母には総資産、分子には当期純利益を用いる。分母の総資産には、期中平均値(前期末の総資産の当期末の総資産の単純平均)を用いる。以下ROE、ROICの計算でも分母に期中平均を用いるのは同様である。(1)

式8の通り、ROAは売上高当期純利益率(マージン)と総資産回転率に分解される。

次にROEの分母には、株主資本を用いる。分子は株主に帰属すべき当期純利益になる。またROEは、ROAと総資産÷株主資本に分解される。ここで「総資産」と「有利子負債・株主資本合計」がほぼ等しいと見なせば、ROEは、式9で示されるように、ROAと(レバレッジ比率+1)を掛け合わせたものであることが分かる。

さらに式8と9から、ROEは式10のように分解できる。

式10はデュポン・フォーミュラと呼ばれるものであるが、ROEが(a)収益性(売上高純利益率)、(b) 資産効率性(総資産回転率)、(c) 財務戦略(レバレッジ比率)によって決まることを示している。「株主資本利益率」という株主を過度に強調する語感からか、かつて我が国では、ROEには拒否感を示す企業経営者が多かった。しかし、デュポン・フォーミュラに示される3要素はどれ一つとっても、企業経営上重要ではないと考える企業経営者はいないだろう。

投下資本全体を考慮するROIC

我が国コーポレートガバナンス改革元年というべき2014年以降、スチュワードシップ・コードと同時期に公表された「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~(伊藤レポート)」、翌2015年の「コーポレートガバナンス・コード」により、わが国においてもROEや資本コストの重要性が徐々に理解されるようになってきた。

近年では、ROE以上に、ROICが注目されるようになってきている。ROEは株主資本の生産性にのみ焦点を当てている。しかし、企業がその経済活動をするにあたって用いているのは、株主資本ばかりではない。そこで、資本の範囲を有利子負債にまで広げて、投下資本全体の生産性の分析に用いられるのがROICである。

●式11
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●式12
NOPAT=営業利益×(1-実効税率)

●式13
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ROICの分母は、有利子負債と株主資本の合計(の期中平均)となる。ROICの分子には、税引後純営業利益(Net Operating Profit After Tax, 以下NOPAT)を用いる(式11、12)。

NOPATは、利払前の営業利益を、実効税率を用いてみなし計算し、税引後利益へと調整したものである。NOPATを用いるのは、分母に有利子負債が含まれていることに対応して、株主ばかりでなく債権者に支払利息として支払われる利益も分子に含めて、整合性を取るためである。

ROICもROEと同様の分解を行うことができる(式13)。ROICの計算に用いる「NOPAT÷売上高」は、ROAやROEにおける売上高当期純利益率に相当する。ここで再び、「総資産」と「有利子負債・株主資本合計」がほぼ等しいことに着目すれば、ROICとROAとには、本質的に大きな差はないことになる。

資本コストを意識した経営

ROEやROICが、ROAより重視されるのは、それらが資本コストとの対比において、目標値となり得るからである。ROEのベンチマークとなる資本コストは、株主資本コストである。それに対して、ROICがベンチマークとすべき資本コストは、有利子負債と株主資本の加重平均資本コスト、すなわちWACCである。ROEが株主資本コストを上回る時、また、ROICがWACCを上回る時、企業価値は拡大すると考えられる。

従って、企業価値拡大という観点からは、対応する資本コストを上回るように、ROE、ROICをいかに改善させるかがポイントになる。(2)そのためにはまず、目標ROEやROICをそれぞれに対応する資本コストを上回るように設定することが重要である。

ROEとROICを改善させるためには、収益性、資産効率性を改善させるべきことは共通している。収益性については、売上高純利益率を改善させるための全社レベルの一次ドライバーとして、売上原価率、販管費率が考えられる。また資産効率性を改善させる全社レベル一次ドライバーとして、運転資本回転率、固定資産回転率が考えられる。これらの全社的な一次ドライバーを改善させる、二次ドライバーを各部署レベルで特定して目標値を設定する。

このようにして定めた各部署の目標値を改善させることにより、全社の収益性、資産効率性を改善させる。それによって最終的にはROE、ROICの向上により、企業価値拡大を図るというのが、資本コストを意識した経営の要諦である。(3)

ROEからROICへ

ROEとROICの改善法で、大きく異なるのはレバレッジである。ROEについては、レバレッジ比率を上昇させれば、他の条件が一定であれば、ROEを上昇させることができる。それに対して、レバレッジを変化させても投下資本総額は変わらないために、ROICの改善には結びつかない。(4)

財務戦略・資本政策は企業経営にとって極めて重要ではあるが、企業価値向上という観点からは、売上高当期純利益率や資産回転率の改善により、その企業の「本業」の収益性や効率性を改善する方が、投資家には好まれる。

それは一つには、レバレッジの利用は、企業の財務リスクを高めることになるからである。支払利息は固定費であるので、レバレッジ比率を上げると、売上高の変動に伴う当期純利益の変動は大きくなる。また過度にレバレッジを利用すると、倒産リスクが高まり、負債コストの上昇につながり価値毀損にもつながりかねない。一般にレバレッジ比率の上昇に伴うROE拡大効果は、株主資本コストの上昇により相殺され、企業価値向上に結び付かないことは、コーポレートファイナンス理論の基本定理、モディリアーニ・ミラー理論(MM理論)としてよく知られている。

このように、レバレッジ比率拡大によるROEの上昇は、企業価値の向上に結び付かないので、投資家は、財務戦略以上に収益性、資産効率性向上のために企業が取っている施策とその効果や、中長期的な事業戦略をより重視するのである。

また、投資家による企業価値評価の手法には、大きく言って配当割引モデル(DDM)と割引キャッシュフロー(DCF)モデルとがある。DDMは、企業から株主に支払われるキャッシュフロー(すなわち配当)を割引くことで、株主資本の価値を評価する。それに対して、DCFモデルは、企業が生み出す将来キャッシュフローの割引現在価値を計算し、そこから有利子負債残高を差し引いて、株主資本の価値を求める。それぞれのモデルのインプットとして用いられる割引率は、DDMが株主資本コスト、DCFモデルがWACCである。

二つのモデルは本質的に同じものではあるが、当期純利益よりキャッシュフローの方が、一過性の要因や不正会計操作の影響を受けにくいこともあり、機関投資家の株式運用の現場では、DCFモデルを用いることがより一般的になってきた。DCFモデルで用いられる割引率がWACCであることから、整合性という観点からも、ROEよりROICを重視する機関投資家が増えていると考えられる。

ROE、ROICと資本コスト比較における留意点

さて、ROEの計算においても、ROICの計算においても、分母に使用される数字は、貸借対照表に示される簿価である。一方、前回の記事では、資本コストの推定において使用すべきは、簿価ではなくて時価であることを強調した。

読者の皆様のなかには、簿価をベースとするROEやROICと、時価をベースとする資本コストの比較に意味はあるのか、と疑問に思われた方も少なからずおられるのではないかと思う。これは、全く正当な疑問であるが、この疑問について正面から答えているROEやROICの解説記事は、筆者がインターネットで調べた限りは見当たらなかった。もちろん世にある解説を全て調べきることは不可能であるので、中にはこの点に触れた解説があるのかも知れない。

しかしこの疑問に答えなくては、資本生産性や資本コストが重要であると言ったところで、読者にとって隔靴掻痒の感は否めないであろう。そこで、以下に筆者なりの説明を試みておく。紙幅の関係もあり、説明の容易なROEと株主資本コストについてのみ解説するが、ROICでも本質的には全く同じ議論ができる。 まず株価純資産倍率PBRが1に等しい場合を考える。このとき株主資本簿価と株式時価総額は一致している。この時、CAPMを用いて株主資本コストが8%であると推定されたとしよう。この時、経営目標として、ROEが8%を上回るように設定し、それを実現できれば、企業価値は拡大すると考えられる。

次にPBRが1より小さい場合を考える。この時、株式時価総額は、株主資本(純資産)簿価を下回っている。つまり、企業価値が毀損されていることになる。ここで、株式時価総額が800億円、純資産が1000億円であるとしよう。また上と同様に株主資本コストが8%とする。株主資本コストが時価ベースのコストであることを考えれば、この企業は64億円(=800億円×8%)を上回る当期純利益を稼げば、株主資本コストを上回る。ここで、企業が簿価ベースの指標であるROE=8%と目標設定し、それを実現できれば、資本コストを上回る当期純利益(80億円)を稼ぐことになり、企業価値は拡大する。

最後にPBRが1より大きい場合については、ややトリッキーである。株式時価総額=1200億円、株式簿価=1000億円としよう。株主資本コスト=8%であるとする。この時、稼ぐべき当期純利益の最低水準は96億円(=1200億円×8%)となる。ここで、株式簿価をベースにROE=8%を目標設定すると、この企業が目標とする当期純利益の水準は80億円であり、時価ベースの株主資本コストの要求水準を下回り、価値破壊的な目標設定を行っていることになる。 しかしそもそもPBRが1より大きいのは、この企業の簿価ベースのROEが、現時点においてすでに株主資本コスト8%を上回っているからである。株式市場が十分に効率的あり、株主資本コストが8%と推定されるなら、この企業は96億円程度の利益を稼いでいるはずである。この時簿価ベースの実績ROEは9・6%程度となる。

この場合、実績ROEをベースにして、それを上回る目標を設定する必要がある。また同じことであるが、株式時価総額(の期中平均値等)に株主資本コストをかけて計算される利益目標を立て、それを元に実績ROE以上の目標ROEを設定する、というのが正しい目標設定ということになる。

以上まとめると、目標ROE設定にあたっては、PBRが1以下の場合には簿価ベースのROEが株主資本コストを上回るように設定すれば、企業価値拡大に向けた目標設定ができていることになる。PBRが1を上回る場合には、単に簿価ベースのROEが資本コストを上回るというだけの目標設定では、ミスリーディングになる可能性がある。目標ROEはむしろ実績ROEを上回るように設定すべきである。株式時価総額に株主資本コストをかけて得られる当期純利益水準を参考に、目標ROEの設定を行うべきである、と整理できるだろう。

ROICの場合の説明はもう少し複雑になるが、PBRが1以下の場合には、目標ROEがWACCを上回るように、またPBRが1を超えている場合は、目標ROEが実績ROEを上回るように、目標設定すべきという考え方は同じである。

資本コストを意識しない経営の帰結

すでに述べたように、わが国では、かつてROEという概念には拒否感を示す経営者が多かった。ROEは株主を過度に重視するアングロサクソン流資本主義のための指標であって、より幅広いステークホルダーを意識する、日本企業の経営には馴染まないものであるという見方が支配的であったからである。しかし、ROEをデュポン・フォーミュラの3要素に分解してみれば、全て企業経営上無視できない、重要なものばかりである。問題はこれら3要素のバランスと、達成すべきROEの水準である。

3要素のバランスということでは、日本企業の経営者は、かつては売上高対前年比(増収率)、営業利益・経常利益の対前年比(営業増益率)等、損益計算書に示されるフローの業績指標を過度に重視する傾向が強かった。一方、バブル崩壊後、資金繰りや有利子負債返済に苦しんだ経験から、厚めの現金保有を重視する傾向が強く、資産効率がややもすると軽視される傾向にあった。また同様に、財務戦略面でも有利子負債を嫌い、株主資本に厚みを持たせることが経営の安定上望ましいと考える企業経営者が多かった。デュポン・フォーミュラに即して言えば、収益性の改善にのみ偏った経営に陥っていたと言える。

さらに残念なことに、達成すべきベンチマークとしての資本コストの重要性が、企業経営者に十分に理解されていなかった。この結果、ROEが株主資本コストを下回る企業が続出した。ROEが株主資本コストを下回る場合には、資本市場においては、株価の下落によって、時価ベースのROE(=EPS÷株価。すなわちPERの逆数)が上昇するという形で調整される。

わが国資本市場においては、PBRが1を下回る上場企業の割合が、欧米に比べて非常に高いことが指摘されて久しい。そうした事態に、自社の株価が資本市場において正当に評価されていないと感じている企業経営者も多かった。しかし、このような現象は、日本企業の経営者のROEや資本コストへの理解不足による、当然の帰結であったとも言える。

おわりに

「スチュワードシップ原則」(2014年)、「コーポレートガバナンス原則」(2015年)が制定されて以来、我が国においても、企業と投資家の建設的対話が奨励されてきた。企業と投資家の建設的対話が、一国の経済政策における最大の目標の一つとなったのは、個々の企業の価値増大、成長の積み上げこそが、我が国経済の成長力回復に繋がると考えられたからに他ならない。

この議論の過程で一貫していたのは、従来わが国企業の経営において、企業経営者の責任が、資本生産性と資本コストの関係からは十分に理解されず、企業価値破壊的な経営が放置されてきたのではないか、また機関投資家も企業経営を監視するという観点からは、十分な責任を果たしていないのではないか、という問題意識であった。

実際、資本生産性が資本コストを上回るという条件は、個別企業の持続的成長、サステナビリティにとって必要条件である。資本生産性と資本コストを正しく理解することは、もはや企業経営者としての必須要件である。しかし、資本コストを意識した経営を行うだけでは、企業のサステナビリティにとって十分であるとは言えなくなってきた。

近年のESG投資の急拡大に見られるように、環境破壊や富の偏在、不平等の拡大等、企業活動が地球環境やグローバル経済に与える負の影響(外部性)への関心が資本市場においても高まっているからである。今や企業経営者には、資本コストのみならず、従来意識されなかった負の外部性というコストにまで向き合うことが求められている。しかしそれについて論じることは、本稿で筆者が語るべき範囲を超える。また別の機会があればそこで論じたい。

NOTE

  1. 前回の解説記事では、WACCの計算において負債コスト、株主資本コストの加重平均を計算するにあたり時価を用いるべきであることを強調した。それに対して、これらの資本生産性指標の分母には、すべて貸借対照表上の簿価を用いる。この不整合についてどう考えるべきかは後述する。
  2. ROE−株主資本コスト、ROIC−WACCをそれぞれ、ROEスプレッド、ROICスプレッドなどという。
  3. ROICを目標値とする場合に、収益性、資産効率性について、各部署において目標とできるような二次ドライバーにまで落とし込んだものをROICツリーと呼ぶ。ROICツリーで特定された二次ドライバーは、ROAやROEを改善させるドライバーでもある。実務上は、こうした現場への落とし込みが極めて重要であるが、それについては、優れた解説書も多いので、そちらを参照して頂きたい。
  4. 正確には、法人税がある場合には、支払利息の節税効果分、企業価値が拡大する。しかし、節税効果による企業価値の拡大は、本業の改善効果に比較して限界的である。
熊谷五郎氏

熊谷五郎Goro Kumagai
みずほ証券株式会社グローバル戦略部産官学連携室上級研究員、公益社団法人日本証券アナリスト協会企業会計部長、京都大学経営管理大学院座客員教授。
国内外の会計基準設定、財務報告・サステナビリティ報告制度に幅広く関与する一方、京都大学経営管理大学院にて、留学生向け講座 "Corporate Finance and Capital Markets"を担当。IFRS Interpretations Committee 委員、企業会計基準委員会委員(非常勤)、企業会計審議会会計部会臨時委員、金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループ委員等を兼任。1982年慶應義塾大学経済学部卒、1987年 New York University, Stern School of Business卒