日本取締役協会を創立して20年あまり。日本のコーポレートガバナンス改革運動を引っ張ってきた宮内義彦会長は、現状にまったく納得していない様子だ。一体、ガバナンス改革の何がそれほど不十分なのか―。話がすすむにつれ、企業経営、ガバナンスにとどまらず、規制改革や日本の統治システムそのものなど、相当に根深い構造的な問題が背景にある構図が浮かび上がってきた。インタビューは、まずは日本取締役協会を設立するころの時代背景から始まった。(聞き手:直居敦)
――先日(21年5月)、日本取締役協会の会見、設立20周年でもある会見にお邪魔したのですが、宮内さんが日本の経営改革、ガバナンスの状況を問われて、まったく満足していない、というか率直に言って怒っていらっしゃるのをみて少々驚きました。
宮内 年齢を重ねるとともに誰にも遠慮せず勝手なことを言うようになっていまして、いいことか悪いことなのか分からないでいるのですが(笑)。若いころは「コーポレートガバナンス」という言葉も知らなかったし、そもそもそうした言葉もなかったような気がします。ただ、経営のやり方が日米で随分と違うなということは感じていました。オリックスという会社が生まれ、特に最初にお世話になった「USリーシング」と親しくするにつれ、また私が80年代に先方の経営に取締役として参加するなかで違いを実感していったのです。ただその時に「アメリカが優れていて日本がダメだ」という認識はなかったですね。
――80年代は日本企業がまだまだ元気でした。
宮内 90年代に入り、経営のやり方の差が、日本のバブル経済が崩壊し、つらい思いをしている原因の一つだと感じ、そして行動した人がいたわけです。
――それは宮内さんご自身ではなくて。
宮内 私でなく。具体的には日本興業銀行の頭取を務められた中村金夫さんです。興銀の経営も混乱期で、中村さんは会長をお辞めになるのですが、真面目な方で、日本の経営ということを考えたのだと思います。それで、企業統治のあり方に、思いが至ったのでしょう。
中村さんは経済同友会ベースの経済人で、同友会関係で有志を集めて勉強し始めたのです。10人ほどの仲間のなかに「お前も来い」と声をかけられまして、一緒に勉強し始めました。そこでやっと「コーポレートガバナンス」ということを意識しました。そのうち会合でちょっと勉強したくらいじゃいかんから、合宿しようということになり、それで舞浜のホテルに泊まり込みで行ったりもしました。
――有名な舞浜会議(1)ですね。当時の新日本製鉄の今井敬社長との議論は語り草です。
宮内 「企業はまずは何が何でも収益を上げて株主に評価されることが大事だ。そうでなければ世界市場では勝てない」という私の立場に対して「企業は従業員を大事にし、コミュニティのよき一員であり、社会の一組織としてグッドシチズンでないといけない」といった今井さんの考え方の違いでした。僕からすれば、アメリカ式に「株主を喜ばすということをやらなければいかん」と、そんなことは当たり前だと考えていましたね。そういう議論もあってもっと勉強しなければと「コーポレートガバナンス・フォーラム」が始まりました。
――日本取締役協会の前身のような会ですね。
宮内 初代は中村さんが経済界から、早稲田大学の奥島孝康総長が学会から共同代表になり、ようやく本格的な議論が始まりました。ただ、そのうちに議論ばかり、勉強ばかりしていても仕方ないという意見が出てきます。だから先進国の例にならって実践部隊を作ろうということですね。ただ、そうしたさなかに当の中村金夫さんが亡くなられたのです。まだフォーラムのときに。
ある日、中村さんが入院中の病院から僕に電話をかけてこられて「俺の後を継げ」とおっしゃる。そういうことでフォーラムの共同議長、僕は中村さんから譲り受けたわけです。自分から「俺やる!」と言った覚えはなかったですね。そして日本取締役協会につながっていく―。これが、協会ができた20年くらい前の姿です。
――オリックスの経営で忙しい中で、それを踏み越えた活動をすることに躊躇はありませんでしたか。
宮内 企業経営の一端だと思っていましたからね。経営者としてやらなければならないと。それについてほとんど違和感はなかったです。規制改革会議議長の方は「俺、こんなことしとっていいんかいな」と思ったこともありましたが(笑)。
――志を同じくする経営者は結構いらしたのですか。
宮内 結構はいないです。本当にいない(笑)。ごく少数だけ。そのなかで一番勇気があったのは、さすがというべきかソニーでしたね。出井伸之さん(当時ソニー会長兼CEO)が、執行役員制度を導入したりして先行しました。オリックスは、そこまではいきなり行けなかった。勉強してまずは社外の人で構成する「諮問委員会」を作って"練習"したのですよ。
――ちょっと日本的ですね。
宮内 ええ、練習。それでもそんなことをする会社は、少数だったと思います。そうこうしているとソニーはさらに社外取締役制度を導入し、執行役制度を作り...。2002年の会社法改正(2)にいち早く乗って委員会等設置会社、今でいう指名委員会等設置会社となったわけです。それでその次の年に、オリックスも1年遅れくらいでついていきました。
――会社法改正の話がありました。法律も制度も変わったわけですが、結局そのときの法律の変わり方が半端だったということはありませんか。
宮内 あのとき、委員会等設置会社という仕組みを作ったこと自体は、あるべき姿を描いてできたものだと思います。ただ、監査役設置会社などという考え方は時代遅れだから、みなこちら側(委員会等設置会社)の方に来るだろうと思っていたのですが、誰も来ない...。結局のところ、日本のガバナンス確立という点からみたら、あの時の会社法改正は成功しなかったということですね。失敗というか、フォロワーがないのですから実効性はなかった。本当に実効性を持たせようと思ったら、強制力が必要でした。しかし「どちらでも選べる」うえにさらに新しく制度的に"真ん中"を作ってしまいました。ガバナンス強化とも何とも言えない妙な仕組みを作って、今日に至っているわけです。
――当時、一気に強制力を持たせた改革をやると、ハレーションが大き過ぎて〝もたなかった〟といったことでしょうか。
宮内 しかし改革と言ったらそんなものですよ。ハレーションなしの改革などありえないでしょう。当時、日本企業の収益力が著しく低く、これを何とかしなければいけなかった。そして形の上で欠けているのがまさに執行と監督の分離でした。執行部を監督し、引きずってでも会社を伸ばしていくという形を作らなければならない。これが一番の目的であるべきでした。
――その時の失敗を今でも引きずっている感じですね。
宮内 この"真ん中"の、監査等委員会設置会社などはややこしい。確かに、監督と執行とは分離はしている。分離はしているけれども、目標達成できない分離なのです。目標は、企業を中長期的に成長させるということです。それには資するところのない分離です。私などは、まったくおめでたいことを考えていました。委員会等設置会社という仕組みができて、これにより監督機関が執行役を叱咤激励するというかたちになると、あとはマーケットのプレッシャーで、こちら側に来ると思っていた。しかし実際にはマーケットがプレッシャーを全くかけない...。
――時代は飛びますが、2014、2015年から別の動きが始まりました。コーポレートガバナンス・コード、スチュワートシップ・コード制定以降の一連のガバナンス改革です。この動きはどう見ているのですか。
宮内 日本にこれだけたくさん会社があったら、なかには立派な会社も生まれるのは当然です。非常に意識の高い経営者が現れたところで、立派な経営をする会社が出てくる。ある意味では当たり前の話です。日本取締役協会も「コーポレートガバナンス・オブ・ザ・イヤー」などと、優れた経営の企業を表彰するといったことをやっていますが、これらの会社は、勝手に立派に経営しただけであって「我々のコーポレートガバナンス運動の成果である」と、本当に言えるのかなと...。
――しかし伊藤レポート(3)なども刺激となり、少数の例外にとどまらない流れになったのではありませんか?
宮内 実際に「どれほどのインパクトがあったのかな?」と思います。本当にガバナンスを確立する契機になったかというと、それほどの力強さはなかったと思います。伊藤先生があのように頑固に主張してきたことについては、ガバナンスを改革する活動という意味では本当によくやっていただいたと思います。ただ、またシニカルに言うと、別にそれがあってもなくても立派な会社は良い経営の方向に向かったのだろうなと...。
――結局のところ、根本の根本、監督と執行の分離という考え方が日本の経営に浸透しているとは言い難い状況です。
宮内 「何のために監督と執行を分離するのか」ということです。基本的なことが、会社法を改正した人々にさえ分かっていなかったのだと思いますね。分かっていたら監査等委員会設置会社みたいな仕組みを作らないでしょう。これは本当にガバナンス運動の足を引っ張るシステムを作ったのではないかと思います。「何もしなくても、悪いことしないようにしましょう」という話ですから...。
イギリスみたいにソフトローで作っていくということができればそれはそれでいいのですが、ソフトローの実践の中核である、例えば東京証券取引所にしても、今度のプライム市場改革など、何のためにやるのかまたこの方法で目的を達成できるのかどうか分かりません。例えば「プライム市場に入るには、指名委員会等設置会社でなければ駄目だ」とか、そこまでやればいいのですが。
――ハレーションを一定範囲内にとどめるための落としどころだったようにも見えます。
宮内 日本の中ではその論理でいいのかもしれませんが、果たしてそうしたことでグローバルに戦えますか。プライム市場ではガバナンス面でも厳しい制約を課すべきでしょう。結果「合格するのは30社しかありません」というのであれば、それでいいと思います。300社作ろうと思うから妙な妥協をするのではないですか。
――突出するものを許さない風土。何と言ったらいいのか...
宮内 足を引っ張るのです。それでみなイコールであれば、Comfortable(快適)です。だからみなでぬるま湯につかって、ゆでガエルになるのは許し合えるのでしょう。
――ただ、アメリカ経営もいろいろと問題が起きていて、2019年の、ビジネス・ラウンドテーブル(4)では、大きな転換が企業社会にもあったように思えます。
宮内 提言があり、スローガンが出るということは、そうはなっていないということですね。ビジネス界の自然な変革などということはなかなか難しいものであって、たとえばアメリカが民主党化してもっと左に曲がっていく、その結果他のステークホルダーに配慮せねばならないような制度的変更を加えるということでしか、チェックできないと思います。アメリカでは引き続き純粋資本主義、原始的な荒々しい資本主義が続くのではないでしょうか。環境問題などで少しは制約されるわけですが、そのなかにおいても、血で血を洗う金儲け第一主義で、国を引っ張っていくのだと思います。
――アメリカのある種の混乱をみながら「やはり日本的経営が素晴らしい」といった雰囲気が少なからずあるように思います。
宮内 日本的経営とは何だろうといったら、ゆでガエル経営ですよ。(アメリカ的経営に対する批判は)自分たちの力のなさの言い訳をしているだけではないでしょうか。日本の代表的な会社の上位100社でも、200社でも、ここ10年間「何か世の中がひっくり返るようなイノベーションを起こせたか」といえばなかなか大きなものは思いつかないでしょう。
アメリカの上位100社、200社は栄枯盛衰がものすごい。会社の中身をすっかり変えているところがあります。典型的にIBMなどはそうですね。駄目な企業は本当に見捨てられてしまいます。そうしたダイナミズムは見られないですな、日本は。
企業経営には、たくさん制約があります。「人をだましたらいかん」とか「嘘ついちゃいかん」とか...。その一つに新たにESGが出てきたと、そういう話ではないでしょうか。「これも守らねばならない事項だ」と考え、彼らは無視しないと思います。ただ、それを受け入れたからといって、オオカミが犬になるわけではない。オオカミの魂は全く失わないと思いますね。
――日本企業、日本社会は、根本のところで全然変わっていないのかもしれないですね。
宮内 根本のところ大きく変わっていないのは、一つは人の問題。もう一つは組織の問題です。この両方で僕は、日本の資本主義が後れを取ったのではないかと思っています。コーポレートガバナンスは組織の問題です。形ができてない。この改革が遅々として進まない、ないしは新しい制度がガバナンスの目的達成のために機能しないというのが、形の話、ガバナンス改革の現状ではないでしょうか。
もう一つは人、経営者の問題です。経営者がアニマル・スピリッツを持って会社を伸ばしていくという力があるのか。あるいは力のある人が経営者になっていないのか。どちらの言い方も正しいと思います。
――日本取締役協会は、これからはそうした人の問題にも力を入れていくのですか。
宮内 それはなかなか無理でしょう。我々は形のことについて主張してきました。かたちを整えると精神までよくなる、人まで変わると...。選任手続き、それを実行する指名委員会というものがしっかりしていれば変わると思って取り組んできたのです。経営者の業績をきちんと評価する。指名委員会が時にはCEOを交代させることができるとすれば、それは強力になると思います。形を整えることを通じて実質が変わっていく...。我々からはそうしたアプローチしかあり得ないと思います。「この経営者は成果が上がっていない!全部代われ」と叫んでみたって、そうは代わってくれはしないでしょう。やはりシステムとして交代させ得るものを提供する。こうした形を作るための運動をする組織なのです。
宮内 もう一回、会社法の基本的なところに取り組む必要があると思います。日本の会社法では経営の仕組みが3種類あり「どれでも便利なものやりなさい」という...。このような状態には「冗談じゃない!」と思いますね。ベストプラクティスの方法一本でいくというくらいのことは必要です。「ここまで行かねば完成しない」という問題に対して、真ん中で止まってはいかんのです。
――「真ん中で止まる」というのが日本らしいのでしょうね。
宮内 それはそれで楽ですからね。でも何をやっているのか分からない。真ん中で止まった人も「よく分からない。何でここにおるんか」という状況ではないでしょうか。
――根深いですね。広く日本社会とか政治が抱える問題が背景にあるのでしょうか。
宮内 根本的には日本国の統治機構に問題があると思います。日本のいわゆる経済という大きな重要な部分を動かすための機関設計をするのが、法務省です。経済関係の法律であれば、経済産業省が主導してほしいくらいですが、日本の細分化された行政組織ではできません。日本の統治システムの欠陥が、こうした点にも現れているのではないでしょうか。日本の統治システム全部を直していかないと、日本は「アルゼンチン化する」と思います。僕は今、失礼ながら長期停滞するという意味で日本はアルゼンチン化が進んでいて、既に「アルゼン」くらいまで来ていると考えています。
――次回は危機意識のさらに深い部分や規制改革会議への取り組みなどについてもお聞きしていきます。
宮内 歳取ると、ぼやきばっかりになってしまって(笑)。
冒頭にあるように、宮内会長がコーポレートガバナンス改革の現状に納得していないことに、僕自身はいささか驚いていた。だが、お話をお聞きするにつれ、自分の不明を恥じることになる。会社法を改正した2002年当時までさかのぼって考えたときに、改正の根幹中の根幹であるはずの「経営と執行の分離」が、不十分なまま今まで尾を引いていることを改めて思い知らされた。「真ん中」で決着させがち、物事の考え方、決め方が縦割りで広い視野を持てないという問題は、ガバナンス改革にとどまらない日本の悪弊だ。インタビュー後半では、規制改革を中心にお話を聞いた。現在と今後の日本のあり様を考えるうえで、きわめて示唆に富む内容だと思う。(直居敦)
NOTE
宮内義彦 Yoshihiko Miyauchi
オリックス株式会社シニア・チェアマン。
1960年 日綿貫業株式会社(現双日株式会社)入社、1964年 オリエン卜・リース株式会社(現オリックス株式会社)入社、1980年 代表取締役社長・グループCEO、2000年 代表取締役会長・グループCEO、2003年 取締役兼代表執行役会長・グループCEO、2014年より現職。2002年より一般社団法人 日本取締役協会会長。
直居敦 Atsushi Naoi
株式会社日経CNBC解説委員長。1988年日本経済新聞社に入社後、証券部、日経マネー編集部、日経QUICKニュース(NQN)、生活経済部などを経て2006年から日経CNBC。2021年から現職。番組「朝エクスプレス」を中心にコメンテーターや企画を担当。米国市場を振り返りつつ、東京市場が最もホットな寄り付き前後の時間帯に、市場動向や経済ニュースを毎朝伝えている。